2019年12月08日

水原代官所 / 水原城址    (新潟県阿賀野市)

新潟県阿賀野市にある水原代官所に行ってきました。

<水原代官所>
水原代官所.jpg
住所:新潟県阿賀野市外城町10−5
駐車場あり(無料)
入場料:300円

水原代官所2.jpg

<水原代官所について>
水原代官所3.jpg

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水原(すいばら)代官所に行ってきました。
水原代官所は1746年に幕府直轄領として、水原城跡に設置されました。
以後、幕末までこの地の統治や新発田藩・村上藩の監視の為の代官所として機能
しましたが、戊辰戦争において会津藩預かりとなり、西軍の侵攻に伴い会津藩が
撤退したことによりその役割を終えました。
平成7年に建物等復元され、今は資料館として一般公開されています。

この建物、2016年公開の映画『殿利息でござる』のロケ地になったそうです。
水原代官所8.jpg



<水原代官所>
水原代官所4.jpg

水原代官所5.jpg

水原代官所6.jpg

水原代官所7.jpg

<水原親憲の碑>
水原常陸介碑.jpg

水原常陸介碑2.jpg

ここは元々水原城というお城があった場所です。
水原城は揚北衆のひとり、水原親憲の居城でしたが、上杉家が会津に転封に
なった為、廃城になりました。
水原代官所の片隅に水原親憲の慰霊碑がありました。

この碑、名前が「水原」ではなく「杉原」になっています。何でなのか気に
なりました。1615年、大坂夏の陣において鉄砲隊を率い活躍した水原親憲
に対し、将軍秀忠は感状を与えたのですが、感状は祐筆の書き間違いで、宛名
が「杉原常陸介」となっていました。
水原親憲はそれに気がついていたものの、将軍家からの感状であるのでそのまま
受け取り、その後自分の姓も「杉原」に改めたという事だそうです。
そんな逸話があるんですね(^^;

日本の城を巡る
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posted by 南行 at 19:17| Comment(0) | 新潟県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

国上寺イケメン官能絵巻    (新潟県燕市)

新潟県燕市にある国上寺に行ってきました。

<国上寺>
国上寺.jpg
住所:新潟県燕市国上1407
駐車場あり(無料)
境内自由

<国上寺について>
国上寺2.jpg

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新潟県燕市にある国上寺に行ってきました。
国上寺は709年創建の越後の古刹で、平安時代末期には源義経が奥州に逃れる際
国上寺の本堂に隠れていた時期があるそうです。
戦国期には上杉謙信に格別の配慮を受け10万石の格式を得ました。

そんな越後の名刹がとある事で有名になりました。
それが題にあるイケメン官能絵巻というやつです。
国上寺が若い人にも寺に足を運んでもらおうと、寺の建物に寺にゆかりの人物達を
描いたものなんですが、絵の内容に燕市からクレームがついてニュースになったも
のです。
建物が市指定の文化財に指定されており、この様な絵は文化財にふさわしく無いと
いうものです。
確かに絵の内容は、上杉謙信の入浴シーン(股間が花で隠されてる・・)とか、言わ
れても仕方ないかなというところも。僕は良いと思うんですけどね(笑)

こちらに詳細あり
https://www.fnn.jp/posts/00047068HDK/201907022047_goody_HDK

<官能絵巻について>
国上寺3.jpg
クリックすると拡大します。

国上寺イケメン官能絵巻9.jpg

<官能絵巻>
国上寺イケメン官能絵巻1.jpg
この先に官能絵巻が。SNS炎上供養ってのが笑えます(^^;

国上寺イケメン官能絵巻.jpg

国上寺イケメン官能絵巻2.jpg

国上寺イケメン官能絵巻3.jpg

国上寺イケメン官能絵巻4.jpg

国上寺イケメン官能絵巻5.jpg

国上寺イケメン官能絵巻6.jpg

国上寺イケメン官能絵巻7.jpg

国上寺イケメン官能絵巻8.jpg

官能絵巻は2020年4月あたりに一旦撤去されるそうです。その後の再設置等に
関してはまだ未定との事。
見たい方はそれまでにどうぞ。

B級観光スポット・珍スポット
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posted by 南行 at 14:27| Comment(0) | 新潟県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

郷六城址    (宮城県仙台市)

仙台市青葉区にある郷六城址に行ってきました。

<郷六城址>
郷六城址.jpg
住所:宮城県仙台市青葉区郷六字久保38−42
駐車場なし

国分氏の族臣・郷六大膳盛元の居城だったのがこの郷六城です。
その後、郷六氏は伊達氏に臣従しまし、天正5年(1577)頃に愛子に移り,
その後に森田氏と改称しています。

現在郷六城址は、小さな碑が残るのみで、城の面影は確認出来ません
でした。
老健施設「Challengeすこやか」という施設の隣が城跡という事です。

<郷六城址>
郷六城址2.jpg
碑の裏の道を登って行くと、そこは個人の畑みたいな感じでした。

郷六城址3.jpg

郷六城址4.jpg
城跡の碑の前にある宇那禰神社は、郷六氏の氏神だそうです。

郷六城址5.jpg
城の前はこんな感じです。

令和元年秋旅 気仙沼大島へ
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日本の城を巡る
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posted by 南行 at 11:37| Comment(0) | 宮城県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月04日

安小島城址    (福島県郡山市)

郡山市にある安小島城址に行ってきました。

<安小島城址>
安小島城.jpg
住所:福島県郡山市熱海町安子島字南町
駐車場無し

<安小島城について>
安小嶋城.jpg

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安小島(あこがしま)城址に行ってきました。
ここは鎌倉時代より安小島氏の居城となっていな城跡です。
安小島氏は戦国時代には蘆名氏に臣従しますが、伊達政宗の侵攻を受け近隣の
諸将が次々と伊達に降るなか、蘆名氏への義理を通しました。
しかしながら、伊達の圧倒的な兵力の前に安小島城は落城・降伏しました。

現在は畑の真ん中に碑だけが建っており、城の気配を感じる事はまったく
出来ませんでした。

安小嶋城2.jpg

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2019年12月01日

母成峠古戦場・東軍殉難者慰霊碑   (福島県猪苗代町)

猪苗代町にある母成峠古戦場・東軍殉難者慰霊碑を参拝してきました。

<母成峠古戦場・東軍殉難者慰霊碑>
戊辰戦争東軍慰霊碑3.jpg
住所:福島県耶麻郡猪苗代町大字蚕養
駐車場あり(無料)

<母成峠の戦いについて>
戊辰戦争東軍慰霊碑2.jpg

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母成峠の戦いは、戊辰戦争において新政府軍と会津藩がぶつかった戦いです。
新政府軍は会津藩の防衛戦の薄かった母成峠を会津侵攻のルートに選びました。
ここは急峻な街道だったがゆえに、会津藩はここに主力部隊を配置しません
でした。
会津藩は、旧幕府の大鳥圭介率いる伝習隊、新選組の土方歳三らが率いる800名
が守備。それに対する新政府軍は土佐の板垣退助、薩摩の伊地知正治らが率いる
3000の軍勢。
戦いは数で勝る新政府軍優勢にすすみ、会津藩・旧幕府軍は敗走しました。

新政府軍は、戦死した会津・旧幕府軍の死者を葬る事を認めなかった為、死体が
そのまま放置されたそうです。
その後、地元の人達が新政府軍の目を盗んで死者を埋葬したのがこの場所です。

戊辰戦争東軍慰霊碑4.jpg

埋葬地はその後分からなくなっていたのですが、昭和53年に発見され、昭和
57年に慰霊碑が建立されました。

<東軍戦死者埋葬地>
戊辰戦争東軍戦死者埋葬地.jpg

戊辰戦争東軍慰霊碑5.jpg

以前、古戦場の碑だけ見た事があったんですが、すぐ近くに慰霊碑があるのは
知らず、今回初訪問になりました。

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posted by 南行 at 19:34| Comment(0) | 福島県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

西館跡        (宮城県仙台市)

仙台市青葉区にある西館跡に行ってきました。

<西館跡>
西館跡.jpg
住所:宮城県仙台市青葉区下愛子西風蕃山
駐車場無し

<西館跡について>
西館跡5.jpg

仙台市の郊外にある西館跡です。
ここは、伊達政宗の娘・五郎八姫(いろはひめ)の屋敷があった場所です。
五郎八姫は家康の六男・松平忠輝に嫁ぎますが、忠輝改易後離縁し仙台に
引き取られます。
五郎八姫は仙台城本丸西館に居住した事から西館様と呼ばれたそうです。
ここ西館跡は、五郎八姫の住居跡ですが、別荘的な使われ方をしたもの
です。

現地には碑と解説がありますが、屋敷を思わせる様な遺構はほぼ残って
いませんでした。
現地に行ったとき、この場所の奥で工事が行われていて、職人から変な
目で見られてしまいました(^^;

西館跡4.jpg

西館跡3.jpg

西館跡2.jpg

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posted by 南行 at 12:25| Comment(0) | 宮城県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

巨釜・半造海岸を散策        (宮城県気仙沼市)

巨釜・半造海岸を散策してきました。

<巨釜・半造海岸>
巨釜1.jpg
住所:宮城県気仙沼市唐桑町小長根
駐車場あり(無料)

<巨釜について>
巨釜.jpg

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巨釜・半造海岸を散策しました。
巨釜は「おおがま」と読みます。宮城県の最北部、唐桑半島にある海岸で、大理石
の海蝕による奇岩がならぶ海岸です。

前九年の役で敗れた安倍氏の一族・家臣らがこの地に逃れ隠れ住んだ地でもある
様です。見所の岩に安倍の頭領安倍貞任の名を冠した貞任岩なんてのもありました。
巨釜7.jpg


<巨釜・半造>
巨釜4.jpg
折石。三陸大津波で先が折れた事から折石と言うそうです。

巨釜9.jpg
貞任岩

巨釜3.jpg

巨釜5.jpg

巨釜2.jpg
ここも立ち枯れの松が目立ちました。

巨釜6.jpg

巨釜8.jpg

令和元年秋旅 気仙沼大島へ
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posted by 南行 at 11:25| Comment(0) | 宮城県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする