2016年12月08日

北田城址      (福島県湯川村)

福島県湯川村にある北田城址に行ってきました。

<北田城址>
北田城址.jpg
住所:福島県河沼郡湯川村大字三川字大舘
駐車場なし

<北田城について>
北田城址2.jpg

北田城址3.jpg

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北田城址に行ってきました。
湯川村というのは喜多方と会津若松の間にある村です。
北田城は一面の田んぼの中にぽつんと石碑がありました。
中世の城跡で、鎌倉時代初期に佐原盛連の次男・広盛が北田氏を名乗り
居城としたのが始まりだそうです。
室町時代中期に北田氏は葦名氏に攻め滅ぼされ、その後廃城になったもの
と思われます。

北田城址4.jpg

北田城址5.jpg

北田城址6.jpg
ほんとに田んぼの真ん中です。田んぼ以外何もありません。
ここが城跡ってよく分かったなと思ってしまいます(^^;

平成28年秋旅2 米沢へ出陣!
http://rover.seesaa.net/article/443372694.html

日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html

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2016年12月07日

瀬戸川館跡    (福島県本宮市)

本宮市にある瀬戸川館跡に行ってきました。

<瀬戸川館跡>
瀬戸川館跡.jpg
住所:福島県本宮市仁井田桝形
駐車場なし

<瀬戸川館について>
瀬戸川館跡3.jpg

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本宮市にある瀬戸川館跡に行ってきました。
瀬戸川館は瀬戸川氏の居城でした。途中より伊達政宗に与し、
仙道人取橋の戦いでは、伊達成実の軍がこの瀬戸川館に陣取りました。

現地は住宅街の中にあり、現在は公園になっています。
居館を思わせるようなものは何も残っていません。
瀬戸川館跡2.jpg

平成28年秋旅1
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大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html

古戦場めぐり
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小手森城址   (福島県二本松市)

二本松市にある小手森城址に行ってきました。

<小手森城>
小手森城氏.jpg
住所:福島県二本松市針道愛宕森
駐車場なし

<小手森城について>
小手森城氏4.jpg

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小手森城に行ってきました。
小手森城は伊達政宗による撫で切り事件?の地として知られます。
若かりし頃の政宗は、小手森城に籠もる大内定綱の家臣菊池顕綱を攻め
菊池顕綱のみならず、女子供、さらには犬までも惨殺したというもの。
殺された者は800人とも1000人とも言われています。

これは大内定綱に対するもののみならず、近隣の敵対勢力に対しての威圧
であったものと思われます。

さて、小手森城跡を攻略します。
国道349号線沿いに案内の看板が出ていますので、それに従って進み
ます。
現地なんですが、駐車場がありません。道も狭く車を停める場所があり
ません。かなり厳しかったですが、小手森城の入り口にかろうじて1台
位なら寄せておく場所があり、そこに停めました。

小手森城跡には現在愛宕神社があります。
小出森城氏.jpg
ここが入り口です。訪問者も少ないのか、荒れ放題です。

少し進むと階段が現れます。
小出森城氏2.jpg
ここからが戦いです。階段はいったい何段あるかな。400段くらいは
あろうか。辛いのなんの。途中何度も休みながら登って行きます。
タオルと飲み物持ってくるんだった。
汗だくになりながら何とか登頂。

小手森城氏3.jpg
山頂の愛宕神社を参拝します。ここが惨殺の舞台と思うと少し不気味な感じ
もします。僕一人だけで誰もいないもので。

小手森城氏5.jpg
自然の石ではなさそうな岩を発見。城の遺構かな??

政宗ゆかりの小手森城、無事攻略しました(・o・)

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2016年12月06日

宮森城址       (福島県二本松市)

二本松市にある宮森城址に行ってきました。

<宮森城址>
宮森城址.jpg
住所:福島県二本松市小浜字上館
駐車場なし

<宮森城について>
宮森城址5.jpg

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宮森城址に行ってきました。だいぶ前に一度訪問していましたが、
今回大河ドラマ『独眼竜政宗』を見ている事から、関連地として再訪問
しました。

宮森城と言えば、なんと言っても政宗の父伊達輝宗がこの城から拉致
されたという事件があります。
政宗に家督を譲った輝宗は宮森城に隠居します。
畠山義継が政宗に降伏を申し入れた際、輝宗が斡旋し、それに対する
お礼で宮森城を訪れた畠山義継に連れ去られてしまいます。

『独眼竜政宗』でも父輝宗を討つシーンは涙無くしては語れません(T_T)
そのシーンを思い浮かべながら宮森城を散策しました。

宮森城址2.jpg
ちょっとした山城ですが、本丸跡までは歩いて数分です。苦も無く行くこと
が出来ます。

宮森城址3.jpg
本丸跡には神社がありました。

宮森城址4.jpg
礎石の様なものが見えます。当時のものかな??

宮森城址6.jpg
宮森城には大内定綱が入った事があるんですね。独眼竜政宗では
大内定綱がとても良い味を出してます。

宮森城址7.jpg

宮森城址8.jpg
輝宗公御前清水。

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戊辰戦争・供中口古戦場   (福島県二本松市)

福島県二本松市にある戊辰戦争供中口古戦場に行ってきました。

<供中口古戦場>
供中口古戦場4.jpg
住所:福島県二本松市榎戸二丁目
駐車場なし

<供中口古戦場について>
供中口古戦場2.jpg

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戊辰戦争供中口古戦場(ぐちゅうぐちこせんじょう)に行ってきました。
二本松藩は奥羽越列藩同盟に参加し、会津藩の要請により白河口に兵を
送っていた関係で、二本松城を守る兵力が手薄になっていました。

そんな中、磐城平城が落城し、平藩が降伏すると新政府軍は三春に進軍。
三春藩は降伏しそのまま二本松に軍勢は侵攻しました。

二本松藩は、農兵や少年兵を動員し防戦にあたります。
二本松の戦いで有名なのは、二本松少年隊の悲劇の舞台となった大壇口
古戦場でしょう。
その他に、あまり有名じゃないですが、この供中口古戦場があります。
安達ヶ原の黒塚から見て阿武隈川の対岸にあたる場所が古戦場の様です。
阿武隈川の橋の下に古戦場の案内がありました。
三浦権太夫義彰ら農兵がこの地で戦いましたが、この戦いは新政府軍の
圧勝に終わり、阿武隈川の渡川を許してしまった様です。

供中口古戦場.jpg
現地は草が生い茂り、とても観光客が来れる様な状況ではありません。
こんな橋の下にひっそりと案内があっても、誰も気付かないでしょ。
まったく観光的にやる気の無い状況です。

供中口古戦場3.jpg
来るのは僕のような歴史マニアくらいか・・・。

二本松藩の丹羽家は、織田信長の重臣、丹羽長秀の子孫である家柄です。
外様大名である丹羽家が、ほぼ玉砕する様な奮戦をしたのは何故なんでしょう。
二本松藩の藩祖、丹羽長重(長秀の嫡男)は関ヶ原で西軍についたため、
一旦改易となりますが、再び取り立てられ大名に復帰します。
その恩義を感じてか、丹羽長重の遺言には「「将軍の恩を第一として、幕僚と
円滑に付き合い、徳川幕府への忠勤に励め」というものがあります。
この遺言が二本松藩の戦いに繋がったのではないかと、僕は考えています。

平成28年秋旅1
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2016年12月04日

黒塚     (福島県二本松市)

二本松にある黒塚に行ってきました。

<黒塚>
黒塚2.jpg
住所:福島県二本松市安達ヶ原
駐車場あり(無料)

<黒塚について>
黒塚3.jpg

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奈良時代、この地に住んでいた鬼婆を熊野の僧が討ち、鬼婆を埋めた
場所が黒塚といわれているこの地です。
「黒塚」は歌舞伎の演目としても有名です。
僕はこの地には以前も来ていて、観世寺に拝観料を払って入って鬼婆に
関する資料などを見たことがありました。
観世寺には鬼婆の供養塔などもあり、僕はこれが黒塚なのだとばっかり
思い込んでいました。
大いなる勘違いでした。
黒塚は観世寺の中じゃなくて、すぐ近くではありますが、阿武隈川の河川敷
にありました。

黒塚.jpg
これが黒塚。確かに黒塚って書いてあるし。
10年来勘違いしてましたよ。黒塚見れて良かったんですけど、少しモヤモヤ
してしまいました。

黒塚4.jpg
この木の下に黒塚があります。

平成28年秋旅1
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田地ヶ岡館跡    (福島県二本松市)

二本松にある田地ヶ岡館跡に行ってきました。

<田地ヶ岡館跡>
田地ヶ岡館跡.jpg
住所:福島県二本松市塩沢町1
駐車場なし

<田地ヶ岡館について>
田地ヶ岡館跡3.jpg

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田地ヶ岡館(でんじがおかたて)跡に行ってきました。
ここは奥州管領畠山高国が1346年に下向した際、館を構えた
場所と言われています。
今は何か残っているかというと、現地を見た感じでは何一つ遺構らしき
ものは見て取れませんでした。

田地ヶ岡館跡2.jpg

畠山氏は管領家の名門ですが、奥州畠山氏は畠山義継が伊達輝宗を拉致し
その際輝宗もろとも義継も殺された事により実質滅亡する事になります。
実際は二本松城で伊達軍と戦うんですが、1586年には開城し畠山義綱
らは葦名家へ落ち延びています。

平成28年秋旅1
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