2022年08月14日

丹生の丘ひまわり畑   (群馬県富岡市)

富岡市にある丹生の丘ひまわり畑に行ってきました。

<丹生の丘ひまわり畑>
丹生の丘ヒマワリ畑.jpg
住所:群馬県富岡市 下丹生459−2
駐車場あり(有料:300円)

群馬県富岡市、丹生の丘ひまわり畑に行ってきました。
丹生湖を見下ろす丘に10万本のひまわりが咲く名所です。

丹生湖はダム湖なんですが、行った時はとにかく水が少なく、湖というより
池程度の大きさでした。

ひまわりは期分けしていて、7月下旬見頃の区画と、8月の区画とありました。
8月の区画をゆるりと散策です。
上州の山々とひまわり、とても良かったです。湖ビューなら尚良かったんですが・・。

<丹生の丘ひまわり畑・令和4年8月7日撮影>
丹生の丘ヒマワリ畑3.jpg

丹生の丘ヒマワリ畑2.jpg

丹生の丘ヒマワリ畑4.jpg

丹生の丘ヒマワリ畑5.jpg

丹生の丘ヒマワリ畑7.jpg

丹生の丘ヒマワリ畑8.jpg

丹生の丘ヒマワリ畑6.jpg

絵みたいに見える、額縁の写真スポットから撮影してみました(^-^)
丹生の丘ヒマワリ畑9.jpg



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2022年07月31日

尾崎豊記念プレート   (東京都渋谷区)

渋谷のクロスタワー前にある尾崎豊記念プレートを見てきました。

<尾崎豊記念プレート>
尾崎豊記念碑.jpg
住所:東京都渋谷区渋谷2丁目15−1

1992年に亡くなった尾崎豊の記念プレートです。
尾崎豊は高校時代に青山学院高等部に通学し、学校の帰り道によく
この場所から夕日を眺めていたという事から記念プレートが設置されました。
記念碑の脇には「十七歳の地図」の歌詞とサイン。

もう亡くなってから30年にもなるんですね。
生きていれば56歳か、時間の流れを感じます。
僕は亡くなった後から尾崎豊の歌を聴いて好きになった感じなので、あまりリアル
タイムじゃないんですが、先輩とかで尾崎豊の大ファンも多く、亡くなった時の
大騒ぎは今でも覚えています。

尾崎豊記念碑2.jpg
いけないんでしょうけど、プレート脇のタイルには数多くの落書き。
令和に入ってからの書き込みも多く、今でも多くのファンに想われているんだな
としみじみ思いました。

今回はクロスタワーに仕事で行ったついでに撮影しました(^-^)

<関連地・尾崎豊の墓>
http://rover.seesaa.net/article/398465804.html



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佐柿の町並み   (福井県美浜町)

丹後街道佐柿の町並みを散策しました。

<佐柿の町並み>
佐柿の町並み.jpg
住所:福井県三方郡美浜町佐柿
駐車場あり(国吉城駐車場利用)

<佐柿の町並みについて>
佐柿の町並み2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
丹後街道佐柿の町並みを散策しました。
国吉城訪問後、その麓にある佐柿の町が昔ながらの雰囲気の町並みという事で
少し散歩しました。

秀吉の家臣木下定光が国吉城主になってから町並みが整備されたとの事。
現在は江戸〜明治時代の建物が何軒か残り昔ながらの雰囲気を感じる町並みを
形成しています。

佐柿の町並み6.jpg

佐柿の町並み8.jpg

佐柿の町並み4.jpg

佐柿の町並み3.jpg

佐柿の町並み9.jpg

<吉右ヱ門さん家バス停>
佐柿の町並み5.jpg
佐柿の町中にあった吉右ヱ門さん家バス停(^-^)
佐賀県の歌にある「山下さんち前」みたいな感じか(笑)

令和4年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/487759392.html

日本の古い町並み
http://rover.seesaa.net/article/21960937.html



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国吉城    (福井県美浜町)

美浜町にある国吉城に行ってきました。

<国吉城>
国吉城.jpg
住所:福井県三方郡美浜町佐柿25−2
駐車場あり(無料)
資料館:入館100円

<国吉城について>
国吉城5.jpg

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若狭国守護大名の武田氏重臣であった粟屋勝久が戦国時代に築き、越前国の朝倉氏
の度重なる来襲に対して籠城戦などで守り抜いた名城です。

織田信長の越前侵攻に際し、信長がこの城に入城したという城でもあります。
国吉城4.jpg

現在は続日本100名城にも指定されています。

まずは資料館に入館して国吉城の歴史を勉強します。
国吉城2.jpg
入館料100円です。ここに入らなくても登城は可能です。

国吉城9b.jpg
明智光秀ゆかりの地でもあります。

資料館を見た後登城しました。片道20分位の山道攻めです。
国吉城3.jpg

国吉城6.jpg

国吉城8.jpg

<本丸跡>
国吉城9a本丸.jpg

<本丸からの風景>
国吉城9a本丸2.jpg

国吉城7.jpg

国吉城9.jpg

GWという事もあり登城している人が結構いて驚きました。

令和4年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/487759392.html

大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html

日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html



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2022年07月24日

権現堂のひまわり   (埼玉県幸手市)

幸手市の権現堂でひまわりを見てきました。

<権現堂のひまわり>
権現堂 ひまわり.jpg
住所:埼玉県幸手市内国府間887−3
駐車場あり(無料)

幸手市の権現堂堤に行ってきました。
権現堂と言えば桜が一番有名ですが、ここは年中いろんな花を見ることが
出来るスポットです。

菜の花、桜、アジサイ、ひまわり、彼岸花、水仙などなどです。

今はアジサイの時期が終わり、ヒマワリが見頃になっています。
ひまわり畑は何ヶ所かに分かれていて、時期をずらして咲く様になってい
ます。
今満開の畑、その隣は来月咲くと思われる畑もありました。

<権現堂のひまわり・令和4年7月24日撮影>
権現堂 ひまわり2.jpg

権現堂 ひまわり3.jpg

権現堂 ひまわり4.jpg

権現堂 ひまわり5.jpg

ひまわり畑の脇にはキバナコスモスも見ることが出来ました。
権現堂 ひまわり6.jpg

権現堂 ひまわり7.jpg



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2022年07月13日

松源寺で梅田雲浜の墓を参拝  (福井県小浜市)

小浜市にある松源寺で梅田雲浜の墓を参拝しました。

<松源寺>
松源寺.jpg
住所:福井県小浜市北塩屋14−6
駐車場あり(無料)
境内自由

<梅田雲浜について>
松源寺2.jpg

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小浜で梅田雲浜の墓を参拝しました。
梅田雲浜は幕末に活躍した儒学者・小浜藩士。
ペリー来航とともに攘夷運動に傾倒し、幕府批判をしたことから安政の大獄で捕縛。
拷問の末獄死しました。

梅田雲浜の出身地である小浜の松源寺にお墓と銅像があります。
国道162号線を走っていると梅田雲浜の墓の案内が出ているので、それに引き込ま
れての訪問でした。

<梅田雲浜像>
松源寺  梅田雲浜像.jpg

<梅田雲浜の墓>
松源寺  梅田雲浜の墓.jpg

令和4年GWの旅
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大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html

銅像めぐり
http://rover.seesaa.net/article/142026310.html

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html



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気比神宮    (福井県敦賀市)

敦賀市にある気比神宮に行ってきました。

<気比神宮>
気比神宮2.jpg
住所:福井県敦賀市曙町11−68
駐車場あり(無料)
境内自由

<気比神宮について>
気比神宮3.jpg
クリックすると拡大します。

社伝では、上古に主祭神の伊奢沙別命は東北方の天筒山に霊跡を垂れ、境内北東方
にある土公の地に降臨したという[2]。そして『気比宮社記』によれば、仲哀天皇の
時に神功皇后が三韓征伐出兵にあたって気比神に祈願をすると、海神を祀るように
神託があり、皇后は穴門に向かう途中で海神から干・満の珠を得た。

そして仲哀天皇8年3月に神功皇后と武内宿禰が安曇連に命じて気比神を祀らせたと
いい、これが神宮の創建になるとしている。

またこの時、気比大神は玉姫命に神憑りして三韓征伐の成功を再び神託したとも
伝える。
その後大宝2年(702年)に文武天皇の勅によって社殿を造営し、本宮に仲哀天皇・
神功皇后を合祀、東殿宮・総社宮・平殿宮・西殿宮の4殿に各1柱を祀ったという。

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敦賀市の気比神宮に行ってきました。
702年の創建と言われる神社で、越前国一之宮でもあります。

気比神宮の境内にある角鹿神社という神社が「敦賀」の名前の由来になっている
そうです。

気比神宮は20年以上前に行っているんですが、今回久しぶりに訪問しました。
寺とか神社とか、一度行くと次に行くのが最低でも10年位はあきますね。
それだけあくともうほとんど覚えていない様な感じになります。
気比神宮もそんな状況。ホテルを出て朝一で訪問しました。

早朝という事もあり、参拝客もほとんどいなくてゆっくり参拝しました。

気比神宮.jpg

松尾芭蕉は奥の細道の中で気比神宮を参拝し、以下の句を残しています。

「月清し遊行のもてる砂の上」

これは芭蕉が気比神宮を参拝し、月明かりに照らされた神前の白砂やかつてこの地
を訪れた遊行上人を思っての句になります。

<芭蕉像>
気比神宮 松尾芭蕉.jpg

<旗掲の松>
気比神宮 旗掛け松.jpg
南北朝の騒乱時、北朝の足利軍に対し気比神宮の大宮司気比氏治が南朝後醍醐
天皇を奉じ気比大明神の神旗を掲げたと伝えられる松です。
今の木は二代目との事です。

令和4年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/487759392.html

奥の細道の旅
http://rover.seesaa.net/article/26835383.html



posted by 南行 at 17:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 福井県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする