長野県長和町(旧和田村)の、中山道和田宿の町並みです。
<中山道和田宿>
<中山道和田宿>
和田宿は中山道の難所和田峠をひかえた場所にあった宿場町で、旅籠72軒をほこる
大宿場町だったそうです。
1861年に大火により大半が消失、現在は歴史の道(国史跡)として復元に取り組んで
いるところです。
<ひとこと>
ここ和田宿や木曽路の奈良井宿など、目の前に難所の峠があるところは、時間の関係も
あり朝から峠越えをするため、前日は宿に泊まる客が多いので、宿場も発展します。
和田峠は今では車で和田峠トンネルをくぐって行きますが、それでも結構な坂を上って
いくなというイメージがありますので、ここを歩くとしたらかなり厳しいと思います。
そんな和田宿は、諏訪湖から見ると和田峠を越えて反対側にあります。
以前から、和田宿の看板は見ていたんですが、今回始めて立ち寄ってみました。
大火のせいで、古い建物が多く残っている訳ではありませんが、本陣や旅籠など、随所に
昔を思わせる町並みが残っています。
【和田宿本陣】
和田宿本陣は1861年の大火で消失しますが、皇女和宮の降嫁に備え、すぐに再建さ
れたものです。和宮は京都から江戸に行くにあたり、東海道ではなく中山道を通って
いますね。東海道は大井の川越や、七里の渡しなど天候に左右される場所が多いため、
中山道ルートがとられたという話しです。
【和田宿の町並み】
【和田宿 信定寺】
天文22年、武田信玄の信濃攻めのおり、討ち死にした大井信定の菩提を弔うために
建立された寺。。
江戸時代には日光例幣使の日光参拝の途中、京都二条殿祈願所となり、諸大名が参拝
しました。
和田宿はあまり人が居ないので、ごみごみせず良い場所ですよ。
(和田宿の町並み ★★★★)
2005年12月11日
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