<石川啄木居住地跡>

住所:北海道函館市青柳町16
駐車場なし
明治40年5月5日津軽海峡を渡り啄木は函館へ。
妻と娘を盛岡の実家に預けて新天地を求めての函館入りでした。
啄木は青柳町の借家で生活。
7月には盛岡から妻子を呼び寄せてこの付近の路地奥にあった借家
に落ち着き、8月には母と妹を迎え、新家庭づくりにかかるが、
不幸にも8月25日夜、大火が発生し、勤めていた弥生尋常小学校
や函館日日新聞社が焼けてしまった。
職場を失った啄木は9月13日、新たな職を求めて札幌へと旅立ち、
函館での生活は4ヶ月で終わりを告げる。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
石川啄木と函館は僕の中ではかなり結びつく地で、実際、立待岬や
青柳町には啄木のゆかりを感じることが出来ます。
でもよくよく見ると函館にはわずか4ヶ月しかいないんですね。
後世に函館と啄木の結びつきが感じられるのは、それだけ函館での
生活が啄木にとって良い時期だったからかなと思います。
「函館の青柳町こそかなしけれ 友の恋歌 矢ぐるまの花」
この句はあまりにも有名です。
啄木の住まいの跡が青柳町にあるというので行ってみました。
現地はというと・・・・。

駐車場??
今はこんな感じです。
何も残ってないのは少し残念です。
平成20年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/104997161.html