大阪府島本町の桜井の駅跡に行ってきました。
<桜井の別れ>
住所:大阪府三島郡島本町桜井1
1336年、足利尊氏の軍勢との決戦を前に覚悟の出陣となった楠木
正成は桜井駅に子の正行を呼び寄せ、今後の生き方の教訓を与えた
あと生き別れの宴を催したとの事。
その後、兵庫県の湊川で楠木正成は討ち死にします。
謡曲「楠露」はこの桜井の別れをえがいたもので、松尾芭蕉の句
「なでしこに かかる涙や 楠の露」から引用されたものと言われ
ています。
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先日真田父子の「犬伏の別れ」について書いたついでに、今日は
楠木父子の「桜井の別れ」について関連の地を書いてみました。
南朝方の勇将だった楠木正成の最後は負け戦と分かっての戦いでし
た。湊川の戦いは悲しいお話です。
歴史にたら・ればはありませんが、ここで楠木正成が死ななければ
南朝の未来も少しは変わったかもしれません。
楠木正成と正行の別れの地は大阪と京都の府境島本町にあります。
近くには天下分け目の戦いにもなった山崎の戦いの古戦場もありま
す。ここで別れた正行は後に南朝の有力武将として活躍します。
現地には、乃木希典筆の「楠木父子決別の地」の碑。
また明治天皇筆の石碑もあります。
楠木父子の像の下には「滅私奉公」の文字。楠木正成が子の正行に
残した教訓なのかもしれません。
2009年07月06日
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