2009年11月15日

津軽藩士殉難慰霊碑   (北海道斜里町)

北海道斜里町にある津軽藩士殉難慰霊碑を見てきました。

<津軽藩士殉難慰霊碑>
津軽藩士殉難慰霊の碑.jpg
住所:北海道斜里町本町
駐車場あり

1799年、幕府は国防のため知床岬から太平洋一帯の東蝦夷地を
松前藩から取り上げて直轄領とし、津軽・南部の二藩に警備を命じた。
1806年、ロシア艦船による北辺侵攻がおきると西蝦夷地をも
直轄領とし、1807年には津軽藩に明治て斜里警備に当たらせた。
1807年の時の命令は急であたっため、充分な準備をする時間も
ないまま蝦夷地に渡り、100名あまりが斜里に配備された。
ロシアとの戦いはなかったものの、酷寒の斜里の越冬は厳しく、
浮腫病のため70人あまりの藩兵が異国の地で倒れる結果となった。
この事件は永らく秘密にされていたが、昭和になって偶然『松前結合日記』と『シャリ場所死亡人控』が発見され、1973年に津軽藩兵
供養のための慰霊碑が建立された。

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知床博物館の裏にある公園に津軽藩兵殉難慰霊碑という碑があります。
これは幕末にロシアに対する備えとして斜里に配備され、この地で
亡くなった津軽藩兵を慰霊するための碑です。

この事件の事は全然知りませんでした。
宝暦治水工事の薩摩藩の犠牲は以前当地の資料館かなにかで見て
知っていましたが、それに匹敵する犠牲がこの地で出ていたのには
驚きました。
歴史の表舞台には出てこない、影の悲劇。かわいそうな話です。

平成21年道東の旅
http://rover.seesaa.net/article/131166599.html

posted by 南行 at 21:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 北海道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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