<源頼朝の墓>

住所:神奈川県鎌倉市西御門2−687
駐車場:なし
鎌倉駅よりバス大塔宮行き岐れ道下車徒歩5分
<源頼朝の墓について>
源頼朝は源義朝の嫡子で、平治の乱の後伊豆韮山に流されていた1180年、北条時政の応援
を得て、平氏追討の兵をあげたが、石橋山の合戦に敗れ、海路安房にのがれた。
しかし関東各地の家人の支持をえて鎌倉に入り、1185年平氏一門を滅ぼし、ついで奥州
の藤原氏を滅ぼして全国を平定するに至った。
頼朝は源氏の御家人武士を統制するため侍所、ついで公文所などをおき、幕府の組織をととの
え、右近衛大将となり、さらに征夷大将軍に任ぜられ幕府を開いた。
1199年に53才で亡くなった。墓の下方の平地は当時の幕府跡である。
(現地看板より)
<ひとこと>
江戸時代の大名墓地と違い、さらに昔の武将などの墓は比較的質素な雰囲気。
頼朝の墓も同じように、石塔がひっそりと建つこじんまりとしたお墓です。
実は1199年に亡くなった時のお墓は別物で、江戸時代に頼朝の子孫と称する
薩摩藩主島津重豪によって整備されたものだそうです。
薩摩の島津が出てこようとは、ちょと意外でした。
墓の下の敷地は幕府があった場所とのこと。墓の下には白旗神社という神社があり
秋の頃にはイチョウが黄色く紅葉して綺麗な場所です。
【白旗神社】


歴史に名をはせた源頼朝。有名人の墓巡りからは外せませんね。
(源頼朝の墓 おすすめ度 ★★★)