群馬県高崎市の東善寺です。
<東善寺>
住所:群馬県高崎市倉渕町権田169
駐車場あり(無料)
境内自由
公式HP:http://tozenzi.cside.com/
東善寺は1633年、室田の長年寺13世円室存祭禅師が開山したと
伝えられるお寺です。
ここには幕末の旗本で勘定奉行などを勤めた小栗上野介忠順の墓が
あります。
<現地の解説>
小栗上野介は徳川譜代の旗本で1827年江戸生まれ。
権田村は上野介の領地の一つだった。
上野介を称し、1859年に33歳で井伊直弼に抜擢され、豊後守
に任官、1860年日米修好通商条約批准書交換のため、新見豊前
守、村垣淡路守と共に米艦ポーハタン号にて渡米、任務を果たし、
帰路は大西洋、インド洋を経て帰国。それより外国・軍艦・江戸町・
歩兵・陸軍・勘定の各奉行を歴任、フランスと結び、幕府の財政や
様式軍隊の創設など幕政の改革に尽くし、横須賀製鉄所を作った。
薩長軍の東征に対し、主戦論をとなえ、勘定奉行を免ぜられ、
1868年3月1日、権田東善寺に隠棲す。
東山道総督がこれを追捕し、閏4月6日水沼村鳥川原にて斬首。
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小栗上野介は幕末の幕府にあって、主戦論を展開した人物。
勝海舟らの無血開城派とは対立しました。
その活躍によって有名な勝海舟と裏腹に、小栗上野介はかなり
地味な存在というイメージです。歴史マニアにとってはそれなり
に有名な存在なんですけどね。
小栗忠順は勘定奉行を勤めたことから、徳川埋蔵金の伝説もあり、
TVでバラエティー的に穴掘りしたのが個人的には印象に残ってます。
<小栗上野介像>
<小栗上野介の墓>
<栗本鋤雲像>
小栗上野介の盟友栗本鋤雲。明治時代には報知新聞主筆として活躍。
銅像めぐり
http://rover.seesaa.net/article/142026310.html
著名人の墓を巡る
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html
2010年03月10日
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