福島県本宮市の人取橋古戦場です。
<人取橋古戦場>
住所:福島県本宮市大字青田字茂庭
1585年11月17日、常陸の佐竹、会津の芦名、白川、石川、
須賀川の二階堂、磐城、相馬の連合軍3万と伊達政宗の軍勢7千余
が戦った古戦場。
この10月、伊達政宗が二本松城を攻め風雪のため兵を引く。
畠山の急を聞いた芦名、佐竹は政宗に仙道(中通り)を奪われんと
することをおそれ、仙道、磐城、相馬の援軍と須賀川に会して安積
を攻略し、前田沢南の原に陣をとる。
これを知った政宗は小浜より岩角に出て高倉城に援軍を送り、本宮
玉井に兵を配して後方に備え、伊達成実を高倉街道小山の下に置き、
自らは本宮観音山を本陣とし、青田原に軍勢を配して高倉に備える。
合戦は高倉より始まる。
荒井を経て伊達の本陣を目指す佐竹勢と人取橋を挟んだ戦いは熾烈を
きわめ、乱戦中鬼庭左月が討ち死に。伊達の本陣はもとより、成実
の陣も激戦となり、舟橋辺では、伊場野遠江が討ち死に、日没して
双方兵を引く。
その夜、佐竹の軍師が家僕に刺殺され、優勢の連合軍は本宮を抜く
ことなく兵を返し、戦いは伊達方の有利に終わる。
政宗は1589年、芦名氏を追い仙道を手中に収めることになるが、
この間で最大の激戦であった。
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福島県本宮市の人取橋古戦場です。
行ったのは平成15年ごろだったかと思います。
国道4号線から見えるところに「人取橋古戦場」という看板を発見。
ここがそうなんだ〜という偶然の発見でした。
車通りの多い国道4号で、ここに立ち寄る人はほとんどいません。
歴史マニアのみぞ訪れる観光地って感じです。
現地は非常にのどかな感じで、かつて激戦が合ったことなど考え
られないような感じのところです。
2010年04月08日
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