東京都文京区小石川にある伝通院です。
<伝通院>
住所:東京都文京区小石川3−14−6
駐車場あり(無料)
丸ノ内線後楽園駅徒歩15分
<由緒>
1415年、浄土宗第七祖了誉聖冏上人が開山したお寺。
当時は小石川極楽水の小さな草庵で無量山寿経寺という名前で開創された。
1602年、徳川家康の母於大の方が逝去され、このお寺を菩提寺と
定めた。於大の方の法名「傳通院殿」から傳通院と呼ばれるようになり、
徳川家の庇護の元大伽藍が整えられた。
1721年、1725年、1910年の3度の大火にあい、更には第二次
世界大戦で境内建物すべて灰燼に帰してしまった。
1988年に新本堂を建設。1999年に観音堂を建設し現在に至る。
<浪士組結成の地>
この地は、1863年2月4日、幕末の治安維持を目的とした組織
「浪士組」の結成大会が行われた場所。
山岡鉄舟、鵜殿鳩翁、清河八郎を中心に総勢250人。その後浪士組を
離れて新撰組として名をはせた近藤勇、土方歳三、沖田総司などが
平隊員として加わっていた。
<ひとこと>
久しぶりに伝通院に行ってきました。
伝通院の名は徳川家康の母、於大の方の法名からきたもので、徳川家と
縁の深いお寺です。また幕末には浪士組が結成された場所で、新撰組マニア
にも必見のスポットかと思います。
伝通院は桜が綺麗な場所です。あいにく桜はまだ早く、今日は梅が見頃
という感じでした。
【伝通院の梅・平成18年3月18日撮影】
伝通院には歴史上の人物の墓がいろいろあります。
続きをご覧ください。
<歴史上の人物の墓>
【佐藤春夫の墓】
大正昭和期の詩人・小説家。
代表作『田園の憂鬱』など。永井荷風の影響を受けた耽美派の小説家。
【清河八郎の墓】
幕末の勤王志士。羽前(山形県)清川村斉藤治兵衛の長男。
1851年、江戸に出て千葉周作に剣を、安積艮斎に儒学を学び、
その後昌平坂学問所に入り文武を学ぶ。
浪士組を結成したが、その後佐幕派と対立。
江戸で佐々木只三郎らに切られる。
【於大の方の墓】
徳川家康の生母。
1541年、岡崎城主松平広忠と結婚、翌年家康を生む。
後に離婚して、久松俊勝と再婚するも人質として織田家や今川家を
転々とするわが子家康を慰め、音信をたたなかったという。
【千姫の墓】
二代将軍徳川秀忠の娘。
1603年幼少の身で豊臣秀頼と結婚、大阪城に入る。
1615年城を出て、桑名藩主本多忠政の子、忠刻と再婚。
忠刻と死別後天樹院と号し江戸に戻る。
【沢宣嘉の墓】
七卿落の一人。長州藩に逃亡。
のち明治政府のもとで参与、九州鎮撫総督、外国事務総督、長崎府知事、
外務卿を歴任。明治初期の外交を担当した。
伝通院は歴史の宝庫。歴史好きには特におすすめです。
(伝通院 おすすめ度 ★★★★)
2006年03月18日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック