<戊辰戦役・関川口古戦場>

住所:山形県鶴岡市関川
駐車場(スペースあり)
慶応4年、徳川慶喜追討令が発せられて、戊辰の役が起こり、追って
4月に庄内藩討伐の指令が出され、4月23日には清川口から庄内藩
と西軍との戦端が開かれた。
5月奥羽越列藩同盟が成立したが、7月には西軍の勢いに押され漸次
崩壊し、庄内藩は孤立して西軍と戦うことになった。さらに7月29日
長岡城が陥落すると西軍は勢いを増して北上し、羽越の国境に迫った。
9月11日、西軍が関川口を奇襲、双方激しい戦闘の末関川を占拠
した。その後、庄内勢は引き上げた越沢から数次にわたり関川奪還
を試みたが効を奏せず9月27日庄内藩が謝罪を決めて終戦となった。
関川口は戊辰の役での内地最後の激戦地であり、庄内藩ではただ一ヶ所
西軍の占拠を許したところであることなど、戊辰の役の古戦場として
歴史的意義のある場所である。

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鶴岡市街を南下、鼠ヶ関から山間部に向かったところに関川口古戦場
はありました。
本当にのどかな集落があり、ここが古戦場だったとは思えない様な
ところです。

しかしながら、関川の民家には戦いにおいてついた刀傷なども残る
そうで、激しい戦いが繰り広げられた事がうかがわれます。
奥羽越列藩同盟で、会津藩や長岡藩の戦いは有名ですが、実は庄内藩
はかなり強かったっていうのはあまり知られていない様な気がします。
庄内藩も徳川四天王・酒井忠次の嫡流の酒井家が藩主をつとめるだけ
に、他の藩とは一線を画すものがありますね。
古戦場めぐり
http://rover.seesaa.net/article/159539121.html