<静御前の墓>

埼玉県栗橋町JR栗橋駅前
駐車場なし
<墓について>
静御前は源義経の内妻で、文治5年9月15日(1189年)栗橋町伊坂(旧村名、静村)にて悲恋の死を遂げました。
その時、侍女琴柱は遺骸を当時この地にあった高柳寺(現・中田光了寺)に葬り、1本の杉の木を植えそのしるしとしました。弘化3年5月(1846年)利根川氾濫により枯れてしまいこの時、杉の代わりに銀杏を植えたそうです。「静女の墳」は、静御前の墓にしるしがないため、中川飛騨守忠英が、享和3年5月(1803年)に建てたものと考えられています。
また、静御前墓所内には『静女塚碑』をはじめ静御前にまつわる石碑などがあります。
<ひとこと>
義経の妻静御前は義経を思いつつ、ここ栗橋で亡くなったそうです。
埼玉県内は木曾義仲や畠山重忠、源範頼にかかわる史跡など、義経や
鎌倉武士にからむ史跡の多い場所です。
ここ静御前の墓もそんなひとつではないでしょうか。
まさに栗橋駅前にあります。
ここ栗橋町には静桜と言われる桜があります。
平泉での義経の悲報を聞いた静御前は、1本の桜を植え義経の菩提を
弔ったのがその名の起こりと言われています。
この桜は里桜の一種で、花の特徴は5枚の花びらの中におしべが花びらの
様に変化したものが混じる特殊な咲き方をします。
静御前の墓の前にも静桜が咲きますが、栗橋町では町中に静桜を植えて
町の名物にしているそうです。
【静桜・平成15年4月18日撮影】

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