東京都品川区にある山内容堂の墓(品川区指定史跡)に行ってきました。
<山内容堂の墓>
住所:東京都品川区東大井4−8
駐車場なし
見学:9時〜17時
<現地の解説>
山内豊信は容堂と号した。1827年に分家の山内豊著の長子と
して埋まれ、1848年に宗家を継いで第15代の土佐高知藩主
となり人材を登用して藩政の刷新に努めた。
一方国策についてもいろいろ論議し、策をたてて多難な幕末期の
幕政に大きな影響を与えた。
進歩的で強力な言動は幕閣に恐れを抱かれ、一時大井の下屋敷に
蟄居させられたが、1862年に再び政治の場に復し、大政奉還
をはじめ幕府と朝廷の間の斡旋に力を尽くした。
1868年に維新後の新政府の内国事務総長となったが、翌年
引退し、明治5年に45歳の若さで亡くなった。
遺言によって、大井村の下総山(土佐山)と呼ばれた現地に葬ら
れた。
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大河ドラマ『龍馬伝』でもおなじみの土佐藩主山内容堂の墓を
見に行ってきました。
京浜急行の鮫洲駅から歩いてすぐ、立会小学校の脇の小さな敷地
に山内容堂、他関係者の墓がありました。
いろいろな大名墓地を見てきましたが、ここは墓石の大きさ等
とても威厳を感じるお墓でした。
墓石には大きな文字で「贈従一位山内豊信公之墓」とあります。
山内容堂は松平春嶽、島津斉彬、伊達宗城とならび、幕末の四賢侯
に数えられる人物。
大政奉還をはじめとし、幕末の国政に大きな影響をもたらしました。今年の大河ドラマでの容堂の描かれ方はただのよっぱらいみ
たいな感じで、いかんせんよろしくありませんが、酒が好きだった
のは確かな様です。45歳という若さで亡くなったのも酒が原因
だったのかもしれませんね。
ここは小学校の敷地の様で、見学に時間制限があるのと、年末年始
は開いていない様です。ご注意ください。
大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html
著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html
2010年07月24日
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