京都市中京区にある光縁寺に行ってきました。
<光縁寺>
住所:京都市下京区綾小路通大宮西入四条大宮町37番地
駐車場なし
墓参拝:100円
<現地解説>
当寺の門前近くに新選組の馬小屋があり、毎日、門前を新選組の隊士達が往来し、その中には
総長の山南敬介もいた。山門を見上げれば、瓦に「丸に右離れ三つ葉立葵」の山南家と同じ
家紋が目に入った。当時の住職は22世良誉上人で年齢も山南と同じであった。
この時代、筵に巻かれた死体がよく当寺門前に放置されていた。
それは葬儀を出せない困窮した人たちが、この寺の住職がそのような死人であっても分け隔て無く
弔っていたのを知っていたのである。
この住職、山南と親交が生まれ、その後山南を含め、多くの新選組隊士が良誉上人に弔われ
当寺に埋葬されることになった。
<光縁寺に埋葬されている新選組隊士・クリックすると拡大します>
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新選組隊士の墓参拝をすべく光縁寺に行ってきました。
阪急の大宮駅から近いんですが、なかなか分かりづらいところにありました。
山門から入り、住職らしい人に100円を渡し新選組墓所に向かいます。
住職らしき人が埋葬されている人物について説明してくれました。
多くの観光客は壬生寺とか八木邸には行くが、ここにはあまり来ない。真の新選組ファン
はここを参拝するものだと言っていたのが印象的でした。
さて本堂裏に新選組を弔った墓標が3基。その3基に大勢の人が祀られています。
四番隊組長・松原忠司、総長山南敬介の名前が見えます。
他に、七番隊組長・谷三十郎 、参謀・伊東甲子太郎なども埋葬されています。
伊東甲子太郎ら御陵衛士に関してはその後掘り起こされ、東山の泉涌寺塔頭戒光寺に埋葬されました。
今回は山南敬介の墓を参拝したいと思い光縁寺に行きました。
墓標に刻まれた名前を見て、ちょっと感動。手を合わせてきました。
確かに八木邸とか壬生寺には観光客が多かったですが、光縁寺には誰もいませんでした。
あまり知られてないんですね・・・。
平成22年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/159668694.html
新撰組関連の史跡
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2010年08月24日
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