福井県坂井市の称念寺というお寺に新田義貞公墓所を参拝に
行っていました。
<称念寺>
住所:福井県坂井市丸岡町長崎19-17
境内自由
南北朝の争乱の時代、新田義貞公は南朝方として戦いましたが、1338年に
灯明寺畷の戦いで戦死しました。その遺骸は時宗の僧八人にかつがれて称念寺に
手厚く葬られたことが『太平記』に記録されています。
称念寺は室町将軍家は1458年に安堵状と寺領を寄進し、将軍家の祈願所として栄えました。
1562年には浪人中の明智光秀公が称念寺を訪ね、門前に寺子屋を建て生活しました。
江戸時代には松尾芭蕉が称念寺を訪れ「月さびよ 明智が妻の咄せむ」と詠んでいます。
徳川将軍家は新田氏が先祖にあたるという事で、その菩提所を大切にしました。
しかし明治の版籍奉還により、寺領が没収され、無檀家になり称念寺は無住になりました。
新田義貞公や称念寺の歴史を惜しむ人が力を合わせて大正13年、ようやく再建しました。
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新田義貞公の墓所のある称念寺に行ってきました。
丸岡城から車で数分のところでした。
見学自由、称念寺は誰でも入ることが出来ます。明智光秀や松尾芭蕉の歴史
もあり、由緒あるお寺ですが、今は新田義貞公のお墓がひっそりとあるのみ
という感じです。
重厚な門の内に義貞公の墓がありました。
平成22年夏旅
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著名人の墓
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2010年08月31日
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