神奈川県伊勢原市の上行寺に行ってきました。
<上行寺>
住所:神奈川県伊勢原市上粕屋875
駐車場あり(無料)
境内自由
上行寺は1567年、旧本門宗本山西山本門寺第13世妙円坊日春
上人により、相模の国小田原花木の地に開創せられ、富士山上行寺
と号す。その後、1596年には江戸桜田に移転したが、1615年
には御用地となったため、八丁堀銀座の地に、1635年には港区
芝伊皿子、1668年芝二本榎、昭和に至り伊勢原に移転する。
寺には俳人宝井其角、初代将棋名人大橋宗桂、蘭学者桂川甫周、
由井正雪の乱の宝蔵院流槍の名人丸橋忠弥の墓がある。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
伊勢原を散策していたら、江戸時代の著名人が眠るお寺を発見、
立ち寄ってみました。
お寺は移転を繰り返し、昭和に入り伊勢原に移転してきたという事
で本堂はコンクリート造りの建物です。
お寺の墓地には数々の歴史的なお墓。
<俳人・宝井其角>
松尾芭蕉門人。井原西鶴とも交流した俳人。
芭蕉十哲、第一の人物と言われています。
「花摘集」「其角十七條」「枯尾花」「五元集」などの作品あり。
<蘭学者・桂川甫周>
6代将軍徳川家宣の医師。オランダ医学書『ターヘルアナトミア』の翻訳
などを手がける。
<丸橋忠弥>
丸橋忠弥の墓は東京の目白不動尊にもあったような気がします。
由井正雪の乱に参加し、処刑された人物。宝蔵院流槍術の達人。
一説には丸橋忠弥は長曽我部盛澄と言われ、長曽我部盛親の子という
事です。
<将棋名人・大橋宗桂>
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕えた将棋師。信長から桂馬の使い方
が巧みとほめられそれゆえ「宗桂」と名乗ったとか。
お墓の形が将棋の駒の形をしています。
平成22年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/159668694.html
著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html
にほんブログ村
2010年09月23日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック