<専称寺>

住所:山形県山形市緑町3-7-67
駐車場なし
<専称寺について>
出羽山形城主最上義光の次女駒姫は美人の誉れ高く、1595年15歳の
若さで関白羽柴秀次に召されたが、太閤秀吉の怒りにふれた秀次は切腹、
子女妻妾三十余名は8月2日京都三条河原にて斬に処せられた。
義光は深く娘の死を悼み、浄土真宗大谷派の専称寺を城下町山形に移し、
黒印地14石と林地八町四方を給して駒姫の霊を慰めた。
京都三条の瑞泉寺には駒姫の墓がある。
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以前、山形市内の最上義光記念館(もがみよしあき)に行ったときに、
この駒姫の話を知り、専称寺の存在も知りました。
戦国末期、太閤秀吉は秀次に関白職をゆずりますが、秀頼が生まれると
秀次がじゃまになり、難癖をつけて秀次を殺すという行動に出ます。
それに巻き込まれたのがこの駒姫。
しかも秀次の所に出向いて、すぐに殺されてしまった様な感じで、非常
に気の毒です。
最上義光は、この時の恨みもあり関ヶ原で東軍についたとも言われて
います。
さて、専称寺ですが、その駒姫を弔うために移されたお寺です。
いろいろ駒姫に関する碑とか、大寺院として塔頭とかがあるのかなと
思い出向いたのですが、特にこれと行ったものはありませんでした。
本堂はものすごく大きく、1703年の建築物で山形では一番大きな
伽藍だそうです。
どちらかというと、歴史マニア向けな場所かなと思います。