<田辺城水門>

住所:和歌山県田辺市上屋敷3-7
駐車場なし
田辺城は関ヶ原の合戦後、紀伊の国に入国した浅野幸長の執政・浅野
左衛門左氏重によって1606年会津川左岸河口に築城されました。
その後、1619年、紀州藩主徳川頼宣の附家老・安藤帯刀直次が
田辺領主となりましたが、安藤直次は紀州藩の重臣として和歌山城下
に常駐していたため、田辺城には直次の従兄弟・安藤小兵衛を
留守居役として置き、小兵衛家が代々城代家老を務めていました。
明治3年(1870)田辺城は廃城となり、遺構の多くは姿を
消しましたが、埋門型の水門とそれに続く石垣が当時の面影をとどめ
ています。


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田辺観光の最初に田辺城水門に行ってきました。
田辺に城ってあったかな〜と思いつつ、ガイドに出ている住所の所に
行ってみると、そこにあったのは水門でした。
水門が現在残る田辺城の遺構です。
水門とはいうものの、城らしく石垣も綺麗に残り、往時を偲ばせます。
かつてはどれほどの大きさの城だったか分かりませんが、河口にあること
から海と川を掘の様にして守るそれなりのお城だったんだろうなと
想像しました。
日本の城を巡る
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平成22年〜23・年末年始の旅
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