石田三成が忍城攻めの際に作った石田堤跡に行ってきました。
<石田堤碑>
住所:埼玉県行田市堤根
駐車場なし
この堤は1590年6月、石田三成によって忍城水攻めのために築かれた
ことから石田堤と呼ばれています。
1590年3月に始まる豊臣秀吉の関東平定に伴い、北条氏に味方する
成田氏の居城である忍城は同年6月、石田三成、大谷吉継、長束正家らに
よって包囲されてしまいます。
石田三成は地形を見て、忍城を水攻めすることにし、全長28キロに
及ぶ堤をわずか1週間で作りあげたと言われています。
実際には自然堤防や微高地を巧みにつなぎ合わせたものと思われ、
現在残っているこの堤も自然堤防の上に1〜2m盛り土うぃしたものです。
こうして堤が完成し、利根・荒川の水を引き入れたのですが、地形的
に城や城下町より下忍・堤根方面に水がたまってしまい、遂には堤が
決壊して、水攻めは失敗に終わります。
しかし北条氏の降伏により忍城は遂に開城します。
こちらが行田市堤根付近の石田堤で、石田堤の石碑が残ります。
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<石田堤史跡公園>
住所:埼玉県鴻巣市袋字台326-1
こちらは鴻巣市にある石田堤史跡公園です。上の行田市の石碑からは
数キロの距離です。
上越新幹線の高架下に解説の放送が流れる櫓や掲示があります。
この櫓から放送が流れるんですが、この櫓の放送はある条件が整うと特別版
になります。詳しくは公園内にヒントがあるので探してみてください。
このような石田三成の忍城攻めに関する掲示があります。
石田堤史跡公園付近の石田堤です。
大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html
2011年02月12日
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