熊本県山鹿市にある小西行長供養碑を見てきました。
<小西行長供養碑>
住所:熊本県山鹿市鹿本町中富
駐車場なし
小西行長は堺の豪商の子として生まれ、年若くして豊臣秀吉に
仕え、数々の戦功により宇土城24万石の城主となった。
関ヶ原の戦いは敗れて京都六条河原で刑死。
宇土城開城とともに家臣は行長の弟隼人の遺児忠右衛門を
伴い、密かにこの地に隠れ住み姓も小材と改めた。
昭和36年の調査により、碑の下端にクルスの十字が陰刻され、
貴重な隠れキリシタンの遺跡であることが分かり町の文化財と
なった。
碑の全面には「慶長五年 西岳院殿行長即得大居士 十月六日」
と記され、行長の死後直ちに建てられた供養碑である。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
たまたま山鹿市内の観光案内板で見つけたのがこの碑です。
小西行長は加藤清正とともに肥後に領地をもらっているので、どこか
にゆかりのものはあるんだろうなとは思っていましたが、偶然
こうやって発見するとうれしいものです。
確かに碑の下には十字のようなものが見えます。キリシタン大名で
あった小西行長の碑なんだなと分かる石碑です。
場所はすごく分かりづらいので、地図をさんしょうください。
著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html
2011年04月19日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック