2011年04月19日

お艶が岩     (群馬県前橋市)

群馬県前橋市のお艶が岩です。

<お艶が岩>
お艶が岩.jpg
住所:群馬県前橋市敷島町262
駐車場あり(無料)

このお艶が岩にはこんな話が伝えられています。
お艶とは実は淀君だったという事です。
淀君は豊臣秀吉の側室で、1615年大阪の陣に際し、わが子
秀頼とともに大阪城の天守閣で炎の中自刃したと伝えられています。
ところが対岸にある元景寺に伝わる話によると、淀君は大阪夏の陣
に出陣した秋元長朝の陣に助けを求めてきました。
長朝は淀君を駕籠に乗せ木曽路を通り総社に帰りました。
もちろん淀君をかくまったとあっては大変なことなので、大橋の
局御縁と呼んでいました。
その後幾星霜、この城で何不自由なく過ごしていた淀君ですが、
過去の悲哀に耐えきれず、遂には世をはかなんで、この岩のうえから
利根川の激流に身を投じたと言います。
この御縁が語り継がれていくうちにいつしか「お艶」になり、この岩
をお艶が岩というようになったという事です。

なお、ここにあるお艶観音像は、お艶330周年忌に際して、昭和34
年4月建立したものです。

お艶観音.jpg

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前橋の敷島公園内にあるお艶が岩に行ってきました。
由来は上に書いたとおりです。
秀頼も生き延び伝説がありますし、その昔には義経生き延び伝説
などそれぞれのちの人によっていろいろ語り継がれる伝説って
いうのがありますね。
このお艶が岩もそんな話の一つで、淀君は生きていたというもの
です。お艶観音は、そんな淀君の姿を現しているそうです。

現地は今は敷島公園の中にあり、利根川は公園外ですが、当時は
利根川のほとりにあったんでしょうかね。
今はこんな感じです。

お艶観音2.jpg

まあ歴史はこういう伝説があるので、また面白いんですけどね。

敷島公園は広いですが、お艶が岩は下の地図のあたりにあります。

大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html


posted by 南行 at 16:05| Comment(2) | TrackBack(0) | 群馬県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私の毎日のウオーキングコースです。この観音様の前を通ります。県営敷島球場を見守っているかのようで、夏の高校野球では高校球児の熱戦を暖かく応援してくれ、群馬から大阪城方面にでかける いわゆる甲子園出場校を毎年自ら選ぶごとく見守ってくれていると信じています。年によっては母校の出場をかかなえてくれています ありがたい観音様です。
Posted by 奈良隆一 at 2011年11月30日 17:52
奈良隆一さん、こんにちは。

敷島公園は高校野球の予選とかやってますよね。高校野球の熱気は良いですね(^-^)

そんな敷島公園のこの観音様の存在は今年知りました。何度も行ってるわりに気がついてませんでした(^^;
淀君をイメージして造られたと言うことにまた驚きました。
Posted by けんけんけん at 2011年12月02日 00:14
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