2011年09月05日

ムカデ姫の墓   (岩手県盛岡市)

岩手県盛岡市にあるムカデ姫の墓に行ってきました。

<ムカデ姫の墓>
ムカデ姫の墓 盛岡.jpg
住所:岩手県盛岡市名須川町8-4
駐車場あり

【現地解説】
この墓は南部27代藩主利直の奥方源秀院殿のお墓です。源秀院殿は、蒲生氏郷の養
妹で、名は於武と言って1594年、南部家へのお輿入れしました。そのとき、蒲生家
の祖、俵藤太秀郷が近江の石山で、オオムカデを射止めた時に用いたと伝えられる矢
の根をみやげとしました。
その後、利直が亡くなり、於武の方も寛文3年に江戸桜田の邸で逝去されましたが、
姫の遺言によってここに葬りました。
当時お墓の前には濠があって、南部家ではこれに太鼓橋をかけることになりました
が、いよいよ竣工して渡りはじめようという日に、一夜のうちにその橋がさんざん
破壊されておりました。
その後何度かけても橋が壊されてしまうというので、誰言うとなく「それは大きな
ムカデが出て橋が壊されてしまうのだ」という噂がたち、その噂が殿様の耳にも
入り、大変不吉なことと考えられました。
そこで、殿様は墓参りの当日に朝早くから沢山の武芸者を見張り番に付け、数千人の
人夫を雇い入れて、一気にその日のうちに工事を終え、やっと橋を完成させました。
しかし、その後もこの付近では、俵藤太に射られたムカデの怨霊が何百匹となく
毎夜のようにはい回り、姫の百千筋の髪の毛がことごとく蛇に化け、その蛇はみな
片目であったと言い伝えられております。
このことが、また城下の評判となって誰言うと無く「ムカデ姫のお墓」と呼ぶように
なりました。

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ムカデ姫の墓という表示を見て、何だろうと思って行ってみました。

ムカデ姫の墓.jpg

解説を見ると、上の様な由来との事。
姫がムカデに呪われているのか、蒲生家が呪われているのかよく
分かりませんが、不思議な話ですね。まあ蒲生氏郷も早死にしてますし、蒲生家
が呪われてるんですかね。

その姫が南部家に来たので、今度は南部家がムカデの呪いに悩まされたって
事でしょうか。

不思議な話です。

平成23年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/220709348.html

posted by 南行 at 00:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 岩手県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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