2011年10月26日

神戸城     (三重県鈴鹿市)

三重県鈴鹿市にある神戸城に行ってきました。

<神戸城>
神戸城1.jpg
住所:三重県鈴鹿市神戸本多町
駐車場あり(無料)

伊勢平氏の子孫関氏の一族神戸氏は南北朝時代飯野寺家町の地に沢城を
築いたが、戦国時代の1550年にはこの地に神戸城を築いて移った。
神戸氏七代目友盛は、北勢に威をふるったが、信長軍の侵攻により1568
年その三男信孝を養子に迎えて和睦した。
信孝は1580年、ここに金箔の瓦も用いた五重の天守閣を築いた。
しかし、本能寺の変後、岐阜城に移り、翌年秀吉と対立して知多半島で
自刃し、1595年には天守閣も桑名城に移され、江戸時代を通じて
天守閣は造られず石垣だけ残された。
江戸時代、城主は一柳直盛、石川氏三代を経て1732年本多忠統が
入国する。
本多氏の治世は140年間続き、1875年城は解体される。
その後堀は埋められ城跡は神戸高校の敷地となった。
天守台や石垣に悲運の武将を偲ぶことが出来る <現地解説より>

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久しぶりに神戸城に行ってきました。今回で二回目の訪問です。
神戸城とは言っても神戸市にあるわけじゃなく、三重県鈴鹿市に
あり、読み方も「かんべじょう」と読みます。

歴史好きなら、神戸信孝の居城ってな感じで知ってるお城です。
現地は神戸高校のとなりにあります。もともとの神戸城の敷地は
神戸高校の一部になっているようです。
建物は無く、石垣のみ残るお城。公園風に簡単に整備されています。
うえの解説にもありますが、悲運の武将神戸信孝(織田信孝)を
しのぶ古城です。

神戸城2.jpg

神戸城3.jpg

神戸城4.jpg

城の片隅に石碑がありました。
石碑には勤王烈士 吉川治太夫とあります。
吉川治太夫忠魂碑.jpg
幕末の志士のようですが、どんな人物か僕は知りません。
調べてみると、天誅組の人物ではありませんが、関わった人物の
様です。

平成23年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/220709348.html

日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html

posted by 南行 at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 三重県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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