京都市伏見区にある坂本龍馬避難の材木小屋跡の碑を見てきました。
<坂本龍馬避難の材木小屋跡>
住所:京都市伏見区過書町(大手橋西詰北側)
駐車場なし
1866年1月、薩長同盟を締結した坂本龍馬が長州藩の三吉慎蔵と寺田屋に
いるところを伏見奉行所配下の役人に取り囲まれました。
風呂場にいたお龍は不穏な気配を察知して、2階の龍馬に危機を告げたので、龍馬
らは応戦。龍馬はピストルで、三吉は槍を構えて戦いましたが乱闘になり、
龍馬は両手首を切られてしまいます。
負傷した龍馬を肩にかけ、裏口の物置をぬけて逃走した三吉は、途中の寺に探索者
がいるのに気付き、方向転換して川端の材木小屋を見つけて密かに忍び込み、龍馬
をその小屋に置いて豪川沿いの伏見薩摩藩邸に駆け込みました。
この事件の顛末は「三吉慎蔵日記」に記されており、龍馬が潜んだとされる西浜の
材木小屋は豪川の左岸南方にあったと言われています。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
寺田屋で襲われたあと、坂本龍馬が避難した材木小屋跡の碑があると
いうので行ってみました。
寺田屋で襲われた後、材木小屋に避難したという話は、せんだっての
大河ドラマ『坂本龍馬』で初めて知りました。
現在この地には碑のみあり、また実際の小屋跡はこの碑から川を渡っ
た対岸にあった様です。
大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html
平成23年末〜24年年始の旅
http://rover.seesaa.net/article/244046668.html
2012年01月28日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック