<平井収二郎生誕の地>

住所:高知県高知市山手町107
駐車場なし
<現地解説>
平井収二郎は幕末の志士。
号を隈山といい、1835年この地で生まれた。
早くより文武を志し英邁闊達で戦国策士の風があったという。
1861年に武市瑞山の土佐勤王党に加盟する。
翌年、藩主山内豊範に従って上洛し他藩応接役として活躍
したが、その後山内容堂が赦免されて藩政を掌握することに
先手を打ち藩政改革を企てた。
このことが容堂の怒りにふれ、同志の間崎滄浪、広瀬健太と
ともに切腹を命ぜられた。
獄中での爪書きの辞世「嗚呼悲しき哉」は藩吏に削り取られ
たが、維新後妹の平井加尾によって復刻された。
享年29才。
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平井収二郎生誕の地に行ってきました。
現地は土讃線の線路の脇にあり、一般のお宅の入り口みたいな
ところに石碑があります。現在は当時のお宅はありません。
武市半平太の土佐勤王党に参加した志士ですが、僕は大河ドラマ
の「龍馬伝」で初めて知りました。
そんな事で、今回生誕の地を訪問した次第です。
大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html
平成23年末〜24年年始の旅
http://rover.seesaa.net/article/244046668.html