秋田県秋田市にある菅江真澄の墓を参拝してきました。
<菅江真澄の墓>
住所:秋田県秋田市寺内大小路137
駐車場あり(無料)
<現地解説>
菅江真澄(本名:白井英二)は1754年に三河の国で生まれた。
1783年に旅に出た時から白井秀雄と名乗り、1810年から
菅江真澄と称した。1829年に仙北の地で亡くなった。
墓碑には76、7とあるので、当時の秋田の友人も正確な年齢は
分かっていなかった様である。
人生の大半を旅に生きた翁は百種二百冊に及ぶ著作を残した。
著書には詳細な図絵が挿入され、読む人に感動を与えている。
日記・地誌・随筆・図絵集などの体裁をとっているが、その内容
は民族・歴史・地理・国学・詩歌・考古・本草などの分野に及んで
いる。人びとはこれを「菅江真澄遊覧記」と総称している。
翁は旅を好み、故郷を出る前にも、富士山に登り、伊吹山で薬草
をかり、姥捨山の月を見、大峰山では修験道を学んでいる。
旅に出てからは、長野・新潟・山形を通って、天明4年は柳田で
越年した。翌年秋田を訪れた後、青森・岩手・宮城で遊んだあと
北海道に渡り、青森を経て1801年に再び秋田に入った。
この時翁は48才であった。これより没するまでの28年間、翁は
秋田を離れることなく、藩主佐竹義和や多くの藩士・百姓・手工業者
遊芸人などと交際した。
藩の許可を得て、秋田六郡の地誌、雪・月・花の「出羽路」の編纂
に精魂を傾けた。
翁の著書は厳しい自然の中に生きた雪国の常民の喜びや悲しみを客観的
に記述したものとして、民族研究の貴重な資料となっている。
秋田を歩き、秋田を誌し、秋田を愛した翁は、取材途中梅沢(旧田沢湖
町)で病に倒れ、角館に運ばれて没したとも、梅沢で亡くなったとも
伝えられている。翁の遺骸は友人鎌田正家の墓域に葬られ、1832年
の三回忌をもって墓碑が建立された。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
秋田市にある菅江真澄の墓を参拝してきました。
私が崇拝し、その人生にあこがれる人物です。
この人こそ元祖旅人という感じがします。またただ旅をしただけ
でなく、秋田を特に愛し、その風土や歴史などを著作に残した
人物として歴史的な評価が高い点も素晴らしいところです。
私も旅好きゆえに、こういう人生を自分もしてみたいなと思います。
まずは働かなくても何とかなるくらいに資金力を強化しないとダメ
ですかね(笑)
平成24年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/268720848.html
著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html
2012年06月23日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック