宮城県丸森町にある旗巻古戦場に行ってきました。
<旗巻古戦場>
住所:宮城県伊具郡丸森町大内字青葉上149−13
駐車場あり(無料)
<現地解説>
旗巻の名については、前九年の役の頃、源頼義・義家父子の軍が安倍貞任を
討つため、騎馬に旗をたてたまま峠を越そうとしたが、森林が深く通行を
阻まれ旗を巻いて通ったという言い伝えによるもの。
戊辰戦争の頃、旗巻は中村城を眼下に出来る場所として仙台藩の重要な戦略
拠点であった。浜街道の駒ヶ嶺城が落城してからは旗巻は仙台藩最後の拠点
として残り、北進する西軍を阻止する体勢にあった。
明治元年、細谷十太夫の率いる仙台衝撃隊(からす組)を含む仙台藩勢を
石田正親、鮎貝太郎平が指揮し、更に庄内藩、米沢藩の応援も得て砲4門
を主軸に兵1200名で守備していた。
山が峻険のため、西軍は正面からの攻撃を攻めあぐねていたが、9月10日
夜奇襲で椎の木方面より攻め込み、一気に山上に迫る気勢を示した。
西軍は鬼石あたりで激突したが、東軍により後方を遮断される危険を感じて
旗巻陣は総崩れ陣屋を焼いて大内方面へ退却した。
態勢をたてなおし戦おうとしたが9月11日仙台から降伏使節が青葉に着いて
「これより追撃無之事」と協定が成立し、戦いは終わった。
各藩は夫々兵を引き上げ、戊辰戦争中仙台藩にとってこの地が最後の戦場と
なった。
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平成24年GWの旅、最後の訪問地が旗巻古戦場です。
戊辰戦争の古戦場で、仙台藩と新政府軍がぶつかった古戦場です。
奥羽越列藩同盟のなかで一番の大藩である仙台藩ですが、いまいち
戊辰戦争ではぱっとせず。
長岡藩や庄内藩の方が目立つ戦いをしていました。
加賀藩などの大藩も戊辰戦争では表に出てきません。要はその経済力
で軍備拡張をしていたわけじゃ無いという事ですね。
旗巻古戦場は仙台藩の少ない戊辰戦争の古戦場です。
現在は古戦場公園として整備されています。
<旗巻古戦場>
旗巻峠旧道
旗巻峠の風景です。
仙台藩の戦死者を供養する供養塔です。
古戦場めぐり
http://rover.seesaa.net/article/159539121.html
平成24年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/268720848.html
2012年07月07日
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