東京都港区にあるヒュースケンの墓を参拝してきました。
<ヒュースケンの墓>
住所:東京都港区南麻布4丁目11−25
駐車場あり(無料)
<現地解説>
アメリカ総領事ハリスの通訳兼書記官として、1856年7月に下田に
到着したオランダ人ヒュースケンはその後、1859年江戸麻布善福寺
にアメリカ仮公使館が設けられるに及び江戸に入り、ハリスの片腕とな
って困難な日米間の折衝に活躍し、日米修好通商条約を調印にいたらしめ、
また、日本と諸外国との条約締結んも尽力した人物である。
1860年12月、ヒュースケンは日本とプロシアとの修好条約の協議
斡旋のため、会場であった赤羽接遇所と宿舎の間を騎馬で往復していた
が、5日午後9時頃宿舎への帰路、中ノ橋付近で一団の浪士に襲われ、
刀で腹部等を深く切られて死亡した。
墓はカトリック教徒のため土葬が必要であったが、当時御府内では土葬
が禁止されていたため、江戸府外であった光林寺に葬られた。
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ハリスの通訳として活躍したヒュースケンの墓を参拝してきました。
尊王攘夷派の浪士に襲われ殺された事件は「ヒュースケン事件」とし
て歴史の教科書にも出てくる重要事項です。
そんなヒュースケンの墓が麻布にあるというので行ってみました。
天現寺橋の近く、光林寺というお寺にあります。
お寺に入ってからは案内板も無いので、本当に分かりづらい。
入り口に簡単な案内があります。
本堂を右側に回り込み、墓域の通路4つ目を右に曲がり、一番奥が
ヒュースケンの墓です。
墓碑の文字はこちら(クリックすると拡大します)
ヘンリー・ヒュースケン、1832年にアムステルダムで生まれ、
1861年江戸に死すと書いてあります。
著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html
大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html
2012年09月17日
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