<慈眼寺>

住所:新潟県小千谷市平成2-3-35
駐車場あり(無料)
拝観(お寺に声をかければ無料で拝観出来ます)
慈眼寺は寺伝によると、天武天皇の白鳳年間、薩明大徳によって
国家鎮護の道場として創建されたという。
また観音堂に安置される本尊、聖観音菩薩は大同年間たまたま
教えを広めにこの地にこられた弘法大師が衆生済度を念じて
一刀三礼、彫られたものと伝えられている。
1691年にはご本尊を江戸に奉じて、出開帳したところ参拝の
善男善女が押しかけて引きも切らず、開帳法会を行うことついに
60日に及んだという。
この評判を聞き、5代将軍徳川綱吉公もわざわさ参詣し、供養料
として和歌一首を書いた扇子を奉納された。
この扇子は寺宝として現存している。
幕末の1868年5月2日、長岡藩家老河井継之助と新政府軍
軍監岩村精一郎がここ慈眼寺で談判をした。
談判は両軍の開戦を決するかどうかであったが、同時に明治維新
の理想を問うものもあった。
河井は中立の立場を守りながらも、なぜ新政府軍が会津藩を討とう
とするのかを問うたという。
その長岡藩の主張を岩村は理解できなかった。
両者は対立し、談判は不調に終わった。
それから小千谷の北東、朝日山などで激しい戦いがはじまり、やがて
戦火は越後の山野全体に及んだ。この談判の決裂が北越戊辰戦争に
大きな影響を与えた。
作家司馬遼太郎は『峠』で、不調に終わったこの談判を追想して
「継之助の恨みはこの北越の野になお息づいて残っているのであろう」
と書いた。
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新潟県小千谷市にある慈眼寺に行ってきました。
相当前に一回行っていたんですが、久しぶりに訪問しました。
平成16年に起きた中越地震でかなりの被害を受けたという話を聞き
気になっていました。
震災から8年がたち、現地はほぼ復旧していました。
ここは戊辰戦争で有名な「小千谷談判」の舞台となったお寺。
その会見の間も被害を受けたそうですが、ここも完全に復旧していま
した。とにかく何よりです。
お寺の方に声をかけると、本堂をあけてくれます。
本堂内に岩村・河井談判の間があります。

ここで行われたのかと思うと、感慨深いものがあります。
戊辰戦争関連の史跡として興味ある方は訪れてみてはいかがでしょう。
<慈眼寺観音堂>

<慈眼寺本堂>
