京都市左京区の金戒光明寺(黒谷)に行ってきました。
<金戒光明寺>
住所:京都府京都市左京区黒谷町121
拝観自由
駐車場あり(有料:60分400円、1日最大800円)
<由緒・現地看板より>
紫雲山と号する浄土宗の大本山で、通称黒谷の名で親しまれている。
寺伝によれば、1175年法然上人が浄土宗の確立のために、比叡山西塔
の黒谷にならって、この地に庵を結んだのが当寺の起こりと伝えられている。
以後浄土宗の念仏道場として栄え、後光厳天皇より「金戒」の二字を賜り、
金戒光明寺と呼ばれるに至った。
1428年、後小松天皇より上人が浄土宗の真実義を悟った由緒により、
「浄土真宗最初門」の勅願を賜った。
御影堂脇壇には、京都七観音・洛陽三十三観音のひとつ、吉田寺の旧本尊
と伝えられる千手観音を安置している。
また御廟には上人の分骨をおさめ、廟前には熊谷直実と平敦盛の供養塔が
たてられている。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
平安神宮から歩いて黒谷(金戒光明寺)へ向かいました。
真如堂の隣にあるお寺で、僕の中では新撰組関連の史跡として認識して
いるところです。
ここは、幕末に京都守護職を勤めた会津藩主松平容保が本陣を置いた場所。
浪士組として京都に来ていた芹沢鴨、近藤勇らは、松平容保から「新撰組」
の名を賜り、京都での活動をします。
新撰組の本拠であった壬生から、容保のいた黒谷との間には緊密な連絡関係
があったそうです。
そんな事もあり、黒谷には新撰組発祥の地のポスターが貼ってありました。
会津藩の本陣があった関係で、黒谷には戊辰戦争で亡くなった会津藩士の
供養塔もあります。
また、ここ黒谷には源平の合戦で活躍した熊谷直実の足跡もあります。
源平の合戦で平敦盛を討った直実は、1193年に法然上人を訪ね、ここ
の池で鎧を洗い、松の木に鎧をかけて出家したそうです。
その後、直実は埼玉県熊谷市に熊谷寺を創建します。
源平の武将と、幕末の歴史。
金戒光明寺(黒谷)は、両方を感じる事が出来るお寺です。
滋賀・京都紅葉巡りツアー(平成18年秋旅)
http://rover.seesaa.net/article/28834314.html
新撰組関連の史跡
http://rover.seesaa.net/article/26835008.html
大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html
<金戒光明寺 御影堂>
<金戒光明寺 文殊塔>
<熊谷直実 鎧かけの松>
<新撰組発祥の地・ポスター>
◆平成24年8月14日再訪
<お江の方供養塔>
お江の方供養塔です。遺髪が納められているとの事。
この供養塔を作ったのは春日局だそうです。
<会津藩墓地>
2007年01月14日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック