福島県会津若松市にある蒲生氏郷の墓です。
<蒲生氏郷の墓>
住所:福島県会津若松市栄町2-12
参拝自由
1590年、天下統一を果たした秀吉は信長にも仕えた戦国武将蒲生氏郷
を奥羽の押さえとして会津に封じた。氏郷は黒川といったこの町を郷里
(滋賀県日野町)の森の名にちなみ「若松」と名付けた。
また鶴ヶ城や城下町を整備し、漆器産業を植え付け文化興隆にも力を注いだ。
しかし会津領主となってわずか5年後に病のため京都で不帰の人となった。
興徳寺の五輪塔には遺髪が収められ、辞世の歌碑も建っている。
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会津若松にある蒲生氏郷の墓です。
過去のデータを整理していたら出てきたので、記事にしてみました。
行ったのが結構前の為、駐車場があったかどうかうる覚えですが、
確か駐車場は無かった様な気がします。
蒲生氏郷は文武両道の名将として知られます。
会津に配置されたのも、秀吉が恐れたゆえに会津に送られたとも言われて
いますが、実際は伊達政宗への押さえとして会津に領地を与えられたものと
思われます。
40歳での急死は、伊達政宗や直江兼続による暗殺説もある様です。
この会津の興徳寺は遺髪塚。
当時は御霊屋があったそうですが、戊辰戦役で焼失との事です。
また境内には辞世の句の歌碑があります。
「限りあれば 吹かねど花は 散るものを 心短き 春の山風」
著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html
2013年08月15日
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