<瑞雲寺>

住所:岡山県岡山市北区番町2丁目6−22
駐車場なし
境内自由
<現地解説>
この寺は歴応年中、多田頼貞の嫡子能瀬太郎左衛門頼仲の創建と言われ、満願山
成就寺と呼んでいたが、岡山城主小早川秀秋を葬ってから、その法号
「瑞雲院殿前黄門秀厳日詮大巨士」にちなみ瑞雲寺と改称。
小早川秀秋の墓は本堂の中にあり、秀秋の木像も安置しており、これを稲葉塚と
呼ぶ。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
岡山市にある瑞雲寺に行ってきました。
小早川秀秋は、もともと木下家定(秀吉室ねねの兄)の子として生まれ、秀吉の養子になって
いましたが、豊臣秀頼の誕生とともに状況は変わり、小早川隆景の養子に出される事になり
ました。
関ヶ原の戦いでは、東軍に寝返り関ヶ原の戦いの勝敗を決定づける働きをしています。
関ヶ原の戦いの功により、宇喜多秀家の領地だった岡山の領地を得ます。
しかし関ヶ原から2年後に21歳にして亡くなります。
小早川秀秋の死に関しては、石田三成・大谷吉継の祟りという様な話もありますが、
実際の所はよく分かりません。
岡山で亡くなった秀秋はこの瑞雲寺に葬られたそうです。
お寺の境内には「小早川秀秋菩提寺」の碑があります。
お墓は本堂の中にあるそうですが、中には入れない様です。
外から参拝して帰ってきました。
現地は道路も狭く、車で行くのはしんどいです。しかも駐車場なし。
どこかに停めて歩いて行くしかないですね。
著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html
大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html