<新島襄の墓>

住所:京都市左京区鹿ヶ谷若王子山町 同志社墓地内
駐車場なし(近隣コインパークあるも料金高いです・・・)
<現地解説>
同志社の創立者新島襄先生は、1890年(明治23年)1月23日に神奈川県大磯で
46才で天に召され、1月27日の葬儀のあと学生達に担がれて此処に埋葬されました。
そして翌年1月、鞍馬産の自然石に勝海舟の揮毫になる碑銘を刻んだ墓碑が建立されました。
それから90余年をへて、次第に墓碑の風化が進んだため、再建が協議されましたが、たまたま
1986年6月不慮の事故によって倒壊しました。
そこで新島先生がアメリカ留学から帰国される際に「日本にキリスト教義学校を」と
声涙倶に下る募金演説をされたゆかりの地であるヴァーモント州ラットランド産の花崗岩
をもって1987年に再建しました。碑銘は元の墓碑から移し刻んだものです。
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新島襄夫妻の墓を参拝しに、京都の同志社墓地に行ってきました。
哲学の道の入り口付近、熊野若王子神社の脇に同志社墓地への道があります。

こんなあやしげな道を進むと、登山道になります。
同志社墓地はちょっとした山の上にあります。

こういう山道を片道20分くらいは歩くことになります。
行くならちゃんとした靴を履いていく必要があります。
山道を進んで、かなり疲れましたが、同志社墓地に到着。
新島襄の墓を中心に、その隣に妻八重の墓。

そして取り囲む様に関係者の墓が並びます。
<山本覚馬の墓>

会津藩士。新島八重の兄。
<山本権八・佐久・三郎の墓>

新島八重の父母及び弟の墓。
<山本久栄の墓>

山本覚馬の娘。徳富蘆花の小説『黒い眼と茶色の目』は蘆花と久栄の恋を
えがいた自叙伝と言われている。
<徳富蘇峰の墓>

明治〜昭和初期のジャーナリスト。同志社設立に協力する。
平成25年〜26年年末年始の旅
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著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html
大河ドラマの舞台
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