広島県宮島町にある宮尾城跡(要害山)に行ってきました。
<宮尾城跡>
住所:広島県廿日市市宮島町
1551年、中国・九州地方に権勢を誇っていた大内義隆はその家臣
陶晴賢の謀反により滅亡した。義隆と盟友関係にあった毛利元就は1553年
晴賢に対し挙兵したが戦力的に陶軍の方がはるかに優勢であったため、奇襲の
一計を案じた。
平地での戦いを不利と見た元就は厳島に戦場をもとめ1555年5月、島の
宮尾に城を築き陶の2万余の大軍をおびき寄せた。
同年9月30日、元就は3500の兵とともに折からの暴風雨と夜陰に乗じ、
厳島神社の背後にあつ包ヶ浦に上陸、翌10月1日早朝、山を越え塔の岡に
ある陶軍の本陣を急襲した。これに加え、大鳥居側の海から小早川隆景の軍
と宮尾城の兵が呼応し、厳島神社周辺で大激戦となり、不意をつかれた陶軍
は壊滅した。
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宮尾城跡に行ってきました。宮尾城は厳島の戦いの為に造られた城で、おそらく
城とはいうものの、簡易な要塞みたいなものと思われます。
現在は案内板は出ていますが、現地には特に何もなく、城であったのかどうか
すら分かりません。
要害山からは、厳島神社の五重の塔やその脇の豊國神社なども見渡せ
ます。五重の塔付近に陶晴賢が陣取ったそうです。
平成25年〜26年年末年始の旅
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日本の城を巡る
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2014年02月09日
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