北九州市八幡西区、櫻屋跡地に行ってきました。
<櫻屋跡地>
住所:福岡県北九州市八幡西区田町2−5
駐車場なし
<現地解説>
江戸時代は、黒崎は長崎街道の宿場町として栄え、交通の要衝として
多くの人や物が行き交う場所でした。およそ1.1キロに及ぶ宿場町
には御茶屋、町茶屋、旅籠、人馬継所、代官所などが置かれました。
櫻屋は黒崎宿に設けられた旅籠です。1808年頃の創業と伝えられ、
古くは薩摩藩の定宿となったことから「薩摩屋」と称していましたが、
後に「櫻屋」と改めたと言われます。
幕末期、櫻屋には薩摩藩・長州藩・土佐藩などの勤王の志士が多く
投宿しました。また、櫻屋の当主は三条実美や東久世通禧など政変
で京都を追われた攘夷派の五卿を支援したとも言われています。
櫻屋には離れ座敷の庭に主人古海東四郎正顕と五卿にまつわる歌碑が
二基建てられていました。
勤王の志が厚い正顕は和歌にも造詣が深く、五卿に対して和歌を献上
したと言われています。
<三条実美歌碑>
<古海正顕歌碑>
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かつての長崎街道黒崎宿も現在は開発がすすみ、かつての宿場の
面影を残すものもほとんどありません。
黒崎宿で、幕末に尊攘志士の宿として使われた櫻屋も現在は無く、
マンションになっていました。
櫻屋の離れ座敷は江戸時代後期の建築と言われるもので、将来の
復元のため平成2年に解体保存されているそうです。
2014年02月16日
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