<油小路の変に関する碑>
住所:京都市下京区油小路通木津屋橋上ル
駐車場なし
<現地解説>
新撰組の参謀であった伊東甲子太郎が意見の相違から新撰組から脱党し御陵衛士(高台寺党)となります。
その後薩摩藩の援助を受け盛んに倒幕を説きました。
しかし新選組との対立は深く、1867年11月、近藤勇らは伊東を招いて酒を振る舞い、酔った伊東をその帰路にこの地で刺殺しました。
この知らせを聞いた伊東一派は直ちに駆けつけましたが、待ち伏せしていた新選組数十名の隊士に襲われ藤堂平助らが殺されます。これを世に油小路七条の変と言います。
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新選組関連の史跡めぐりという事で、油小路の変の現場に行ってみました。
京都駅から近く、大体の場所は分かっていたんですけど、碑とかあるのかとか全然知らずにとりあえず油小路を歩いてみることにしました。
現地は至って何の変哲もない通りです。
歩いていたら見つけたのがこの記事の上の写真です。
「伊東甲子太郎他数名殉難之跡」と書いてありました。
伊東甲子太郎は新選組に殺され、七条油小路の交差点付近に死体が晒されたそうです。
今の七条油小路交差点がこちら。
碑以外には当時を思わせるようなものは何もありません。
新撰組関連の史跡
http://rover.seesaa.net/article/26835008.html
平成26年春の京都
http://rover.seesaa.net/article/394830586.html
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