<山野辺城趾>
住所:山形県東村山郡山辺町山辺55
駐車場あり
山野辺城は、平安時代の前九年の役で知られる奥羽地方の戦乱時に須賀川山辺氏が
領有築城したという。
室町時代になると山野辺氏の活躍が伊達家や各地の記録に見えるし、軍記物語にも
最上氏配下の武将として登場し、信頼に応えた大きな働きをしている。
その当時の城郭は1761年の古絵画によると、旧役場から山辺小学校プールまでの
東西四十間、南北五十六間の台地に置き、西部の出羽丘陵から村山盆地に向けて突き
出た丘陵部の舌端部を利用し絶好の位置に立地した中世の城郭であった。
1601年、19300石で山野辺城主となった山野辺義忠は領主として役22年間
の治世の間に数多くの業績をあげ、最上宗家の当主として期待されたほどの人物
であった。特に山野辺城池の完成と城下町の整備に意をそそいだ。
しかし、1622年最上氏の左遷により山野辺城は破壊されてしまった。
1823年、白河藩阿部氏は出羽国の飛び地を支配するため、陣屋を設けた。
その玄関は幾多の変遷を経た後、町指定の文化財として指定、保存されている。
<陣屋玄関遺構>
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山野辺城趾に行ってきました。
平安時代から江戸時代初期の城の遺構です。
現在は残っているものはほぼ無く、山野辺城があったという場所である
山辺小学校脇に「山野辺城趾」の碑が建っています。
また、その近くに江戸時代の陣屋の遺構「玄関」が残っています。
玄関はそれだけポツンとあるので、ちょっと違和感がありました(^^;
日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html
平成26年GWの旅(城めぐり&本州最東端へ!)
http://rover.seesaa.net/article/396337322.html
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