<大槌城趾>
住所:岩手県上閉伊郡大槌町城山
駐車場あり(無料)
<現地解説>
城山として町民から親しまれている「大槌城趾」は、大槌氏累代の居城
跡である。建武年間(1334年〜)の頃、遠野横田城主阿曽沼朝綱が、閉伊郡
の沿岸地方治安のために、自らの二男遠野次郎を当地に派遣する。
遠野次郎は大槌氏を称し、以来最後の城主孫八郎政貞が自刃して果てる1616年
までの280年ほどの間のことである。
1437年頃、時の城主大槌孫三郎は南部十三世守行の大軍と戦う。
諸書に「この城は滄海を前にして、高山を後にして、大槌小槌の二川を左右に
し、城をその中央に占め、これを攻めれども陥らず」とあり、また
「所は屈竟之要害後は峨々たる山に続き、前は満々たる荒磯にて千尋立たぬ
所なれば、守行公も攻めあぐんで和談にこそしたりけり」とある。
大槌氏は存亡の危機を免れた。
その後、大槌氏は南部氏の下で平田から豊間根までを支配し、三千石を
与えられた。
しかし後日南部氏の謀計によって大槌氏は滅亡する。
平場の標高120〜140m、東西400m。
主郭には帯郭を伴う。
平場の面積は2284坪前後となる。
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大槌城跡に行ってきました。
現在は城山公園という公園になっています。公園を歩いてこようと
思ったんですが、何と駐車場が満車。停める場所がなく、やむなく
大槌城跡の碑だけ写真を撮ってきました。
大槌城趾の碑は、町立図書館の前にありました。
確かにこの城、ちょっとした山城で、眼下には海。なかなかの
要害と思われます。
城跡から見下ろすと、そこは東日本大震災の被災地。
ここは海の近くの被災地のところは完全に更地になり、今は何もあり
ません。集団移転でどこかに移るのでしょう。
<大槌城からの風景>
こういう風景を見ると復興の度合いも場所によって様々だなと思います。
日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html
平成26年GWの旅(城めぐり&本州最東端へ!)
http://rover.seesaa.net/article/396337322.html
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