平成25年10月13日訪問。
<長命寺>

住所:福島県会津若松市日新町5-51
駐車場あり(無料)
長命寺は1605年、京都本願寺第12世教如が蒲生秀行に請い、
若松城下日野町(今の上町)に一寺を建立、本願寺輪番(本願寺
出先機関)の地とし「本願寺掛所」としたのが始まりとされている。
そして、浅草本願寺と同じ寺格を賜り、会津一円は勿論東北の各地
にも布教した。
1667年、院地狭隘のため今の地を賜って移り、これまでこの寺
は御坊と尊称されてきたが「幸甫」の代より長命寺と改め、輪番制
を廃し世襲の寺となった。
寛文年間(1661〜1672)本願寺直轄寺院であったこの寺は
最高の寺格を示す白線の五條の築地塀を許された。
<築地塀>

この築地塀の名を高らしめたのは、戊辰の役における長命寺での攻防戦
であり、当時の鉄砲弾がこの築地塀に無数に残っていて、その戦いのすさ
まじさを物語っている。
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会津若松市の長命寺に行ってきました。
ここは戊辰戦争の激戦地として知られる寺です。
大河ドラマ『八重の桜』ではこの寺の名前は出ませんでしたが、佐川官兵衛
が主君松平容保から酒を賜り翌朝の出陣を寝過ごした逸話、その戦いの
舞台がこの長命寺(長命寺の戦い)になります。
この戦いで、佐川官兵衛の父直道も討ち死にしています。
本当に激戦だったのでしょう、築地塀には穴が数多く残っています。
これが戊辰戦争の銃弾の跡というのはびっくりします。

また境内には会津藩士の墓があります。

激戦後、遺体は葬ることも許されず放置されました。
見かねた長命寺の住職が付近の遺体を集めて埋葬したのがこのお墓です。
大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html
古戦場めぐり
http://rover.seesaa.net/article/159539121.html
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