平成25年10月13日訪問。
<中野竹子殉節の地>
住所:福島県会津若松市神指町大字黒川街道西250
駐車場なし
<現地解説>
明治戊辰(1868)の役で、西軍を迎え撃ったところで西側には旧越後
街道が通っていた。
8月23日には、中野竹子・優子の姉妹を中心とした婦女子隊は坂下まで
出陣したが、8月25日には婦人の従軍が許可されたので、黒髪を断ち、
薙刀をかかえ衝鋒隊に加わり、城下に迫る長州・大垣藩の兵士とここで
遭遇し、激しい戦いが展開された。
竹子は辞世の「武士の猛き心にくらぶれば 数には入らぬ我が身ながらも」
と詠んだ短冊を薙刀に結びつけて奮戦したが、敵の銃撃に会い、壮烈な
戦死を遂げた。時に22歳であった。
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福島県会津若松市の中野竹子殉節の地(史跡)に行ってきました。
竹子が戦死した柳橋の近くに碑が建立されています。
この碑は昭和13年に建立されたもので、裏には竹子の辞世の句など
が刻まれています。
昨年の大河ドラマで山本八重が注目されましたが、会津戦争で名を
残した女性と言えば昔から中野竹子だったような気がします。
実際会津の歴史資料館みたいなところでも、竹子の事は見たことが
ありましたが、八重の事は今回の大河で初めて知りました。
大河での竹子の最後も感動しましたが、歴史上の史実の様なえぐい
部分はさすがにカットされたなという感じでしたね。
ちなみにこの場所は、戦国末期、直江兼続が家康の侵攻に備え神指城
を作った地のすぐ近くになります。
大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html
古戦場めぐり
http://rover.seesaa.net/article/159539121.html
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