<苦林野古戦場>
住所:埼玉県毛呂山町川角
駐車場なし
<現地解説>
このあたり一帯は1363年6月、鎌倉公方足利基氏の軍勢3000
余騎と前越後国守護芳賀禅可の軍勢800余騎とが激突した古戦場で
ある。太平記に「小塚の上にうちのぼりて」とある小塚はこの古墳で
あったかもしれない。
あまりの激戦で多数の戦死者が出たので、後世戦死者の霊を弔う追悼碑
が後円部の墳丘上に建てられた。
また1477年にも太田道灌と長尾景春の武将矢野兵庫助とがこの付近で
戦った。
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苦林野古戦場(にがばやしのこせんじょう)に行ってきました。
このあたりは古墳群で、苦林野古戦場の碑がある場所も小さいながら
前方後円墳です。
室町時代初期、鎌倉公方足利基氏と芳賀禅可との戦いがあった古戦場。
あまり知られている戦いじゃないですよね。
歴史好きの僕でもよく知らない古戦場です。
この地は旧鎌倉街道沿いにあり、今は長閑な田園地帯になっています。
<苦林野の合戦について>
足利基氏は、補佐役の関東管領に失脚した畠山国清に代わり
上杉憲顕を登用しました。上杉憲顕は、一時尊氏に叛そむいたため、信濃国に
追放されていた人物です。
基氏は、関東管領の職だけでなく上野・越後両国の守護職宇都宮氏綱から取り
上げ、憲顕に与えることとしました。
これに反発した氏綱の家臣・芳賀禅可は、鎌倉へ上る途中の憲顕を襲撃
しようとしましたが、察知した基氏は芳賀軍討伐のため、自ら大軍を率
いて鎌倉街道を北上しました。
そして両軍が対戦したのが苦林野だったのです。
※毛呂山町広報より引用
古戦場めぐり
http://rover.seesaa.net/article/159539121.html
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