<小松帯刀像>
住所:鹿児島県鹿児島市山下町5−9
駐車場なし
<現地解説>
小松帯刀は1835年、喜入領主肝付家の三男として生まれ、20歳で吉利
の領主小松家の養子となり、小松帯刀と名を改めました。子供の頃から学問や
武芸に優れ、27歳で家老となり西郷隆盛や大久保利通などを重要な役目につ
けました。
寺田屋事件、生麦事件、薩英戦争を乗り切り、薩長同盟を結ぶなど明治維新に
向けて活躍しました。維新後も外交官など要職につきましたが34歳で亡くなり
ました。
この小松帯刀像は1867年に15代将軍徳川慶喜が二条城に諸大名を集めて
大政奉還すべきかどうか問うたとき、薩摩藩城代家老であった小松帯刀が
「大政奉還すべき」として他藩にさきがけて記帳したときの様子をイメージして
造られたもので、三公像(島津斉彬、島津久光、島津忠義)の建つ照國神社を
向いて建立されています。
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鹿児島市内、鹿児島市立中央公民館前にある小松帯刀像を見てきました。
場所で言うと、西郷隆盛像の目の前にあります。
小松帯刀はさきの大河ドラマ『篤姫』で準主役の様な形で紹介された
為一般にも知られる様になりました。
維新の影の立役者です。
この銅像も派手さは無いですが、格好良いですね。
平成26年夏旅
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銅像めぐり
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大河ドラマの舞台
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