<照國神社>
住所:鹿児島県鹿児島市照国町19-35
駐車場あり(無料)
境内自由
<現地解説>
「英主島津斉彬を祀る」
早くから開国論を唱え、西郷、大久保を指導して幕政改革を目指した
島津家第28代当主斉彬は1858年7月15日、炎天下での閲兵が
災いしてその後にわかに発病、あっけなく49歳の生涯を閉じました。
幕末史に強烈な印象を残す英明藩主斉彬のリーダーシップは中央政界で
の活躍の他、藩政においても発揮され、集成館事業を手はじめに紡績
事業、造船事業を興し、電信、製鉄、写真、硝子、ガス灯など西洋文化
を積極的に取り入れ、日本の近代化の礎を築いたのです。
斉彬の開化事業は当時鹿児島を訪れたオランダ人技師が一目見て驚嘆する
ほどの水準にあった事が記録されています。
死後朝廷はその数々の功績をたたえ、照國大明神の神号を贈りました。
そこで1864年鶴丸城の西側の南泉院跡に一社を造営、照國神社が創建
されたのです。境内には島津斉彬、隣の探勝園には久光、忠義の銅像が
建っています。
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久しぶりに照國神社に行ってきました。
泊まったホテルが照國神社の脇だったので、朝一番からの訪問になりました。
境内の資料館は9時開館という事で入れませんでしたが、境内は自由なので、
まずは本殿を参拝しました。
ご祀神は島津斉彬公です。
境内は結構広いんですけど、隣の探勝園という庭園と一体化しているからかも
しれません。
上の解説にもありますが、境内には島津斉彬公の銅像、となりの探勝園に島津久光、
島津忠義の銅像があります。
<島津斉彬像>
<島津久光像>
<島津忠義像>
あと、傍らに戊辰戦争の供養塔もありました。
供養塔の脇には戊辰戦争で亡くなった兵の名前がありました。
桜田門外の変で井伊を討ち取った有村次左右衛門や、西郷隆盛の弟西郷吉ニ郎の名前も。
平成26年夏旅
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銅像めぐり
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大河ドラマの舞台
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