<母智丘神社>

住所:宮崎県都城市横市町6691
駐車場あり(無料)
境内自由
<現地解説>
大昔のことは明確ではありませんが母智丘神社は徳川時代の中頃まで
稲荷石と洞穴が知られておりその後神社が出来たものであります。
明治3年10月当時上荘内郷におりました地頭三島通庸が母智丘に参詣
し、社殿が荒れ果てているのを見て神社再興をはかったものであり、
明治33年に火災で焼失いたしましたが郡内有志の力で明治36年に
再建されました。
この丘の頂上に散在する巨石群は火山の噴出による赤ボラで地中に埋まって
いたものでありますが、母智丘神社再興工事の時に発掘されました。


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都城市にある母智丘神社に行ってきました。
古くからある神社の様ですが、現在の神社は明治時代になって三島通庸によって
再建されたものだそうです。
三島通庸は薩摩藩士で、明治時代の歴史のいろいろな局面で登場する重要人物
です。歴史好きだとこの人の名前はこれでもかというほど見ているので、あの
三島通庸が再建って事で驚きました。
この神社は巨石があり、古代より信仰の対象になっていたようです。
また母智丘神社は標高240mほどの高台にあり、展望台から都城市の景色を
一望する事が出来ます。夜景とかも綺麗かもしれません。


平成26年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/403847749.html
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