<鬼小島弥太郎戦死の地碑>
住所:新潟県長岡市栃尾大野町3丁目4−2
駐車場なし
<現地解説>
鬼小島弥太郎は背丈六尺二寸(186cm)で、その力は三十人力であった
といわれ、その豪勇の故に鬼の一字が付けられたと言われています。
弥太郎は17歳の時、見いだされて長尾景虎(のちの上杉謙信)の家来となり、
槍の名手として活躍しました。
1560年の刈谷田川の合戦では、三条方の広瀬十郎と一騎打ちを行い、これ
を討ち味方を大勝に導きました。
しかし、帰陣の途中ここ天神橋で広瀬十郎の子二人の不意打ちにあい、おどり
かかる広瀬兄弟を斬り伏せたものの、深傷のため割腹して果てました。
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長岡市(旧栃尾市)にある鬼小島弥太郎戦死の地碑を見てきました。
場所は栃尾の市街地から少し歩いたところ、デイケア施設「おおの苑」という
ところの裏庭にあります。
おおの苑の裏にこういう登り坂があり、この奥にあります。
現地に案内は無いので、知らないと絶対に着けません。
デイケア施設の裏庭に上の写真のような碑が建っています。
現在の天神橋です。
鬼小島弥太郎は存在したのかどうかもよく分かっていない武将ですが、その
豪勇ゆえ「鬼」の文字がつけられたと言われる上杉家の猛将です。
こんなところに戦死の碑文があったとは。全然知りませんでした。
大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html
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