2014年10月05日

赤坂峠古戦場     (新潟県三条市)

新潟県三条市にある赤坂峠古戦場に行ってきました。

<赤坂峠古戦場>
赤坂峠古戦場.jpg
住所:新潟県三条市駒込
駐車場なし

<現地解説>
慶応四年、大政奉還をめぐる新政府軍と同盟軍が戦った北越戊辰戦争の下田郷
における最大の激戦地跡である。
5月、長岡城の陥落により、両軍の戦線は県内各地に広がった。
そのうち村松藩を主力とする同盟軍500は、長岡・見附から交代し駒込の
石動社から観音堂に布陣した。
新政府軍の本陣は峠の向かい側杉沢におき前線は赤坂にあって対峙した。
6月1日朝、鹿峠・長沢の同盟陣地を背景とし、赤坂の的に総攻撃を敢行した。
村松藩は米沢・会津藩とともに松代藩を加えた相手方と激戦。
村松藩はこの戦いで隊長青木剛八が戦死、軍監奥畑傅兵衛は十数人を斬り倒した
が狙撃で倒されてまた立ち上がり、その勇猛な戦いぶりは後世に語り継がれた。
大正14年、峠の下にあるこの地に古戦場記念碑が建てられ、また赤坂峠も矢山
の峰伝いの道から現在の道に新たに拓かれたものである。

赤坂峠古戦場2.jpg

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赤坂峠古戦場に行ってきました。
北越戊辰戦争の古戦場で、長岡城が陥落後の戦いになります。
奥羽越列藩同盟側の村松藩(堀氏・外様)と会津・長岡・米沢藩。
新政府軍は長州藩奇兵隊と松代藩です。

村松藩という藩はあまりよく知りませんが、五泉・村松方面を治めた
外様の小藩の様です。
幕末は藩論が分かれ、藩主らの佐幕派と新政府軍に組みする派閥とで
混乱したようです。

赤坂峠の戦いは最終的に新政府軍の勝利に終わりますが、小藩ながら村松藩の
抵抗で新政府軍はそれなりの損害を受けたようです。

古戦場めぐり
http://rover.seesaa.net/article/159539121.html

[ここに地図が表示されます]

posted by 南行 at 21:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 新潟県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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