<大村益次郎生誕の地>
住所:山口県山口市鋳銭司5670-1
駐車場なし
この地は大村益次郎の祖先が代々居住したところで、益次郎は1825年
5月3日出生した。しかし、益次郎の出生後3年ばかりして、一家は父の
実家のある秋穂の天田に移り生家は解き払われた。
益次郎は成長して三田尻の梅田幽斉に蘭学、九州日田の広瀬淡窓に漢学、
さらに大阪の緒方洪庵について洋学・医学を学んだ。
1853年、宇和島藩に招かれて宇和島に数年留まり、後に江戸に出て
塾を開き、ついで幕府講武所の教授となった。
その後、長州藩に召されて江戸藩邸に入り、後に帰国して明倫館教授と
なった。
この頃いわゆる幕府による長州征伐がおこり、益次郎は参謀としてこれに
対処し幕府軍を破った。
その後、戊辰の戦いにも参謀として功があり、明治新政府の樹立に尽くした。
維新後は兵部大輔として大いに軍政を改革し、日本の国は日本国民全部で
守るべきだとして、大いに国軍の建設に尽力したが、明治2年9月4日
京都において、反対派のために襲撃を受け11月5日大阪で没した。
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山口市にある大村益次郎生誕の地に行ってきました。
鋳銭司村と呼ばれた場所です。
大村益次郎は鋳銭司村の村医者の子として生まれます。
僕も大村益次郎について詳しいことは知らなかったのですが、先日大河ドラマ
『花神』を見ていろいろ知ることが出来ました。
元々長州藩士という訳じゃ無かったんですね。
鋳銭司は山口市の中心部からはかなり離れており、江戸時代には本当に田舎村だっ
たんだろうなと想像出来ます。
そんな田舎から出た天才が維新を成し遂げる大きな功績を残した事はとても驚く
べき事と思います。
平成26年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/403847749.html
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