<龍福寺>
住所:山口県山口市大殿大路119
駐車場あり(無料)
境内自由
龍福寺はもとは山口市白石にありましたが、1551年に兵火にかかりそのまま
になっていたものを、1557年毛利隆元が大内義隆の菩提を弔うためにこの地
に再興しました。
1881年、龍福寺は火災に遭いほとんどの建物が焼失しました。
そのため、大内氏の氏寺であった天台宗興隆寺から釈迦堂を移築し龍福寺本堂
へ改造しました。この本堂は1479年に建立されたと言われています。
この境内地は大内氏の館跡で、大内氏はここで200余年間政務をとりました。
1549年、毛利元就は元春公、隆景公の二子を連れてこの大内館に参上し、
大いに歓待されました。
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山口市にある龍福寺に行ってきました。
ここは大内氏の館があったところだそうです。
館跡は完全に跡地で、現在その面影を見る事は出来ません。
発掘作業が行われて、その全貌の一端が分かった程度の様です。
池などがあり、大きな館だった様です。
大内氏は義隆の代に陶晴賢の謀反により、長門市にある大寧寺で自刃します
(大寧寺の変)
つい最近大河ドラマ『毛利元就』を見ましたが、大内義隆が政治への関心を
失い陶晴賢がそれを憂いて謀反を起こす様な感じでした。
毛利隆元は大内義隆から「隆」の字をもらい関係も深かった事から、この
龍福寺を建立してその菩提を弔ったのでしょう。
境内には大内義隆主従の供養塔、辞世の句碑などがあります。
【大内義隆主従供養塔】
【大内義隆辞世の句碑】
「討つ人も討たるる人も諸ともに如露亦如電応作如是観」
大内義隆の辞世の句です。漢字の部分は「にょろやくにょでんおうさにょぜかん」
と読みます。句は討つ人も討たれる人も人生は露の様に儚いという意味だそうです。
文化人として知られた義隆らしい辞世の句ですね。
【大内義興像】
大内義隆の父、大内義興の像です。義興の代に大内氏は一大勢力として
全盛期を迎えます。
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