<当信寺>
住所:宮城県白石市字本町62
駐車場なし
境内自由
<現地解説>
1597年、良益上人開山と伝えられる。本尊は阿弥陀如来立像で、黒本尊
とも呼ばれ大阪の陣に従軍した片倉家中遊佐勘四郎によって、大坂天王寺より
もたらされたと伝えられている。
表門は、もともと白石城の東口門であったもの。
三間一戸二階建て瓦葺き。
境内裏には真田阿梅・大八の墓があります。
【現地解説】
1615年大坂夏の陣の時大坂方の名将真田幸村は落城と自分の最期を覚悟し、
知勇兼備を見込んだ敵将片倉重長に阿梅と穴山小助の娘の養育を託した。
重長は幸村の遺児、阿梅・阿菖蒲・おかね・大八たちを白石城二の丸で密かに
養育し、阿梅は重長の後妻に、阿菖蒲は田村定広の妻に、おかねは早世、大八
は片倉四郎兵衛守信と名乗り伊達家に召し抱えられた。
阿梅と大八の墓はこの当信寺に、阿菖蒲の墓は田村家墓地にある。
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白石にある当信寺に行ってきました。
当信寺は真田幸村の遺児、阿梅と大八の墓があるとの事でした。
真田幸村には遺児が何人かいて、大坂の陣後も生き残ってるんですよね。
以前、秋田県由利本荘市にある妙慶寺というお寺にある、お田の方の墓を参拝して
きました。
http://rover.seesaa.net/article/120557428.html
お田の方は真田幸村の遺児で、亀田藩主岩城宣隆の妻になっています。
阿梅と大八は敵である片倉重長が養育したというのに驚きます。
大坂の陣で、真田幸村の軍と伊達家はまさに直接激突しているからです。
片倉重長は器が大きいですね。
さて、真田と言えば再来年の大河ドラマは幸村が主人公の『真田丸』
当信寺もゆかりの地としてすでに旗がたっていました。
気が早いですね(^-^)
平成26年秋旅
http://rover.seesaa.net/article/408266698.html
大河ドラマの舞台
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著名人の墓
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