<竹中半兵衛の墓>
住所:兵庫県三木市平井
駐車場なし
<現地解説>
一世の軍略兵法家として知られた竹中半兵衛重治は初め齋藤龍興に属し、
のちに織田信長に従い秀吉と共に各地に転戦し殊勲をたてましたが。
しかし、三木城攻防戦のたけなわの頃、平井山の陣中に胸を病み、一時
は京都に移って療養していましたが、固着した戦況を心配しこの地に
帰ってきました。けれども病魔には勝てず、1579年6月13日、
36歳の若さで永歿しました。臨終の時、秀吉に対して将来の天下人
を預言し息を引き取りました。秀吉はお先真っ暗と人前もはばからず
遺体にとりすがったと言われます。
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三木にある竹中半兵衛の墓を参拝してきました。
以前、岐阜県垂井町にある竹中半兵衛の墓を参拝したことがありましたが、
亡くなった三木にも墓があるという事で訪問しました。
三木城攻防戦で半兵衛が陣取った平井山の近くに墓はあります。
分かりづらい場所ですが、白い塀に囲まれた中に半兵衛の墓があります。
歴史にたらればはありませんが、半兵衛が長生きしていたら、秀吉が暴走する事も
無かったのか朝鮮出兵はどうだったのかといろいろ考えてしまいます。
36歳と若くして亡くなっただけに、惜しまれます。
近くには三木城攻防戦秀吉本陣跡などもありますので、まとめて観光したいところ
です。
岐阜県垂井町・禅幢寺(竹中半兵衛の墓)
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平成26年・27年 年末年始の旅
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著名人の墓
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