<綱敷天神社>
住所:大阪市北区神山町9番11号
境内自由
<現地解説>
嵯峨天皇は822年、津の国難波蒐我野に行幸され、この地で一夜を
過ごされた。天皇死後、皇子の左大臣源融は追悼のあまり843年この
神山の地に神野神社として奉祀された。
菅原道真公は901年、太宰権帥に左遷の時、この北野の地に着船、
神野神社に参拝され、紅梅樹が美しく咲いていたので船綱をといて
御座とし賞翫された。
今、御神宝とされている綱から綱敷天神社といわれ、学問の神様として
ご信仰があり、守り伝えられています。
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梅田にある綱敷天神社に行ってきました。
泊まった宿の近くにあったので、朝一で寄りました。
菅原道真が、この地にあった紅梅を船綱を敷いて鑑賞された事からその名がつい
たものだそうです。
その後、従者の白太夫こと度会晴彦を召し、この地に留まりいつか戻る日まで
待つように言葉を残されたとの事です。
その際、白江の姓をたまわり、その紅梅の下に小祠を営み梅塚天神社と称し、道真
公を祀りました。
この梅が現在の大坂の「梅田」の地名の由来になったという話です。
この神社にそんな由来があるとは知りませんでした。
<綱敷天神本殿>
天神社といえば必ずある牛
従軍記念碑
これは日清戦争への従軍記念碑の様です。
平成26年・27年 年末年始の旅
http://rover.seesaa.net/article/411697633.html
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